痰オて、その生産物は必然的に減少するであろう。従って、もし人民の側と政府の側とにおける同一の不生産的支出が続くのに、年々の再生産が不断に減少して行くならば、人民と国家との資源は加速度的に失われ、そして惨苦と破滅とがそれに随伴するであろう。
 過去二十年間(編者註)における英国政府の莫大な支出にもかかわらず、人民の側における生産の増加がこれを償って余りあったことは、ほとんど疑い得ない。国民資本が啻に害されなかったのみならず、それはまた大いに増加され、そして人民の年々の収入は、その租税を支払った後にすら、おそらく、現在においては吾々の歴史のいかなる以前の時代におけるよりもより[#「より」に傍点]大であろう。
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(編者註)一七九三――一八一五年。
[#ここで字下げ終わり]
 この証拠として吾々は、人口の増加や、――農業の拡張や、――航海業及び製造業の増加や、――船渠の建造や、――多数の運河の開設や、並びに多くの他の費用を多く要する企業を、挙げ得ようが、そのすべては、資本及び年々の生産の両者の増加を示すものである。
 しかしながらそれでもなお、租税がなければこの資本増加が遥かにより[#「より」に傍点]大であったであろうことは確実である。蓄積の力を減少せしめる傾向を有たない租税はない。すべての租税は資本か収入かの負担する所とならねばならない。もしそれが資本を蚕食するならば、それは、その程度に応じて国の生産的産業の範囲が常に左右されねばならぬ所の資金を比例的に減少しなければならない。そしてもしそれが収入の負担する所となるならば、それは蓄積を減少せしめるか、または、納税者をして、彼らの以前の生活の必要品及び奢侈品の不生産的消費をその租税の額だけ減少せしめることによって、この額を貯蓄せしめるか、でなければならない。ある租税は、かかる結果を、他の租税よりも、遥かにより[#「より」に傍点]大なる程度において産み出すであろう。しかし課税の大なる害悪は、その目的物の選択にあるよりは、全体としてのその結果の総額にあることが見出さるべきである。
 租税は資本に課せられたという故をもって必然的に資本に対する租税であるわけではなく、また所得に課せられたという故をもって所得に対する租税であるわけでもない。もし私の一年一、〇〇〇|磅《ポンド》の所得から、私が一〇〇|磅《ポンド》を
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