て生きて行けるようになろうと考えた論者はない。しかしゴドウィン氏は両性間の情欲はその中《うち》になくなるであろうと推論している。だが彼はその著のこの部分は臆説の範囲にそれた所であると云っているから、私はここではただ人間の可完全化性を証明せんとする議論は、人間が蒙昧状態から今まで遂げて来た大きな進歩とそれがどの点に至ったら停止するかは云い難いという点から引出すのが最もよい、と述べるに止めて置こう。ところが今までは両性間の情欲は少しも消滅には向っていない。それは現在なお二千年または四千年前と同じ力で存在しているように思われる。現在個人的例外はあるが、しかしそれはいつでもあったことである。そしてこれ等の例外はその数を増すとは思われないから、ただ例外があるというだけのことで、この例外がその中に原則となり原則が例外となると推測するのは、確かに極めて非学問的な論法であろう。
『しからば私の公準は認められたものとして、私は云う、人口増加力は人間に生活資料を生産する土地の力よりも、不定限に大きい、と。』
[#ここで字下げ終わり]
 植物と非理性的動物においては、問題は簡単である。彼らはすべて有力な本能
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