チた。なかんずくジェイムズ・スチュワアトはこれをいわゆる学問的に1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、ジョウジフ・タウンスエンドはこれを試論的に2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、論じて余すところがなかった。しかるにフランスにおいてその端を開いた3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]人口減少の危惧は、英国に渡って極めて広汎にわたる人口論争を惹き起しており4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、またフランス革命勃発後はいわゆる『英国におけるフランス革命』と呼ばれる英国史上空前のの社会的混乱が経験されていた。この後の問題は特に緊急なものであった。従って『英国におけるフランス革命』に対する鎮静剤たる理論は一つの必然であり、かつそれがマルサス的内容を有することは可能であったのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] 彼は人口と食物との両増加力の関係をその全経済理論の出発点としている。James Steuart ; An Inquiry into the Principles of Political Oeconomy : etc. London 1767.
 2)[#「2)」は縦中横] 彼がフアン・フェルナンデスの山羊と犬との例を引いて貧困を論じたことは、極めて有名である。Joseph Townsend ; A Dissertation on the Poor Laws. London 1786. Do. ; A Journey through Spain etc. 2nd ed., London 1792.
 3)[#「3)」は縦中横] 〔Charles de Secondat, Baron de La Bre`de et de Montesquieu ; Lettres Persanes. 1721. Do. ; De l'Esprit des Lois. 1748.〕
 4)[#「4)」は縦中横] 英国においてはこの論争は二つの形で行われた。その一は英国自身に関するものであり、人口減退を主張するものは前掲のリチャアド・プライス、その反対者は、Arthur Young (A six Months Tour through the North of England : etc. Vol. IV. 1771. Do. ; The Farmer's 
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