るのであったから、日頃着実な地方の農家までが競って思惑株に手を出し、また土地の買占めをするものがあったりして、ほとんど国をあげて投機の熱病に罹《かか》った観があった。ところが大正八年三月の停戦と同時に物価急落し、それまで隆々旭の昇るが如き勢いであった神戸の鈴木、横浜の茂木などが、千万の富を負債にかえて没落したのもこの時であった。
しかしまた一方には少数ながら騰落に処して少しも損害を被らなかったものもあるのであって、それらの商店はどういう用意を持っていたか、大いにここは吟味を要するところである。私に言わせるならば、物価暴騰の際には何時かそれが旧態に復する日があることを予想すべきであって、その考えもなしに景気の好調にまかせて買い進み、上が上にも利を占めようとするなどはじつに愚かの極みである。物価が正常のところに復するのはいつであるか、その時期は容易に判らぬとしても、十円に仕入れたものが景気に乗って二十円三十円にも売れるなどということは決して尋常の沙汰でなく、儲かってもそれは不当利得である。すなわちその不当なる利益は別途に貯えておき、やがての反動期に備えるのが商人としての良心であり、また一般人の常識であらねばならない。
我々の同業者の中でも、景気に乗って思惑買いをして、一時は大いに儲けたものもあった。何しろ当時は一俵二十二円であった砂糖が、三十円になり四十円になり、終には五十五円にまで騰り、この調子では七十円くらいまで行くかも知れぬと予想されたものであった。そこで五十余円の砂糖を幾百俵も買って予想の高値を当て込んだ同業者があったが、気の毒にも次に来たものは滅茶滅茶の暴落であった。
私は最初から、思惑買いはさておき、実際に使用する砂糖でさえも買置きせず、必要量だけを購入してこの変則の場合を凌いでいたので、五十五円が一時に三十円まで下落した際も、私のところには一俵の手持もなかった。つまり不当の利を得ようとしなかった代りに損をせず、すぐに安くなった砂糖を使うことが出来たのである。むろん私は世間で投機熱がいかに流行しても、株に手を出すなどということはなかったから、好景気に際して厘毛の利益も得なかった代り、この急落によって少しも打撃を被ることもなく、したがって中村屋は安泰であった。
しかし大戦当初よりのことを考えると、中村屋のような地道な店は、世間が成金成金でお祭り騒ぎをす
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