和六年に三越が十倍の三十五万円で買い受け、そこに現在の支店が建設されたのである。

    賃餅の予約と新兵衛餅

 新宿に移って二年目、現在の場所を手に入れた私は、裏の空地に製造場も出来たので、これまではパン一式であったが、ここで一つ日本菓子の製造を始めようと思い立った。パンだけでは商いがあまりに細く、夏忙しい代りに冬閑散で、早くいえば商売にむらがある。そこでパンとは反対に、冬忙しく夏閑散な日本菓子を持って来て、互いに長短相補おうというのであって、これが具合よく行けば中村屋の経営は初めて合理化するのであった。
 しかし日本菓子は私にとり未経験であると同時に、お得意の方でもパン屋が急に日本菓子を売り出して買って頂けるものかどうか、これは少し難かしい問題であった。
 で、何とか一工夫して中村屋の新たに製造して売り出す日本菓子は、特に材料を精選した優良品であるということを、お得意に知ってもらわなくてはならぬと思い、そこで思いついたのが歳末の賃餅であった。上等の餅を勉強して売り出せば、それが機縁になって日本菓子のお得意が得られる。私はこう思うたので、餅米はどんなものを選ぶべきか、幸いこれには米穀研究の権威者と称された畑中吉五郎氏が私の親戚であったから、早速氏を訪ねて相談した。すると畑中氏は、
『今日東京で餅を売るといって、ただの上餅では、たとえ原価で売ったところが、第一流の客を引くことは出来ないであろう。そこでこれは大奮発だが、旧幕時代将軍家御用となっていた新兵衛餅というのがある。これならばたしかに天下一品、こういう餅を賃餅にして売り出したら、君の思いつきはたしかに成功するであろう』
 といって、その新兵衛餅について教えてくれた。私は氏の説に従い、すぐに産地に行って新兵衛餅百俵を買い入れ、その売渡し証を取って帰り、これを写真に撮って広告に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入し、往昔徳川将軍家御用であった天下一品の新兵衛餅百俵を、表記買入れの実費をもって予約販売致します。但し予約期限は十二月十五日限り、それ以後は時の相場通り値上げする旨を発表した。
 この計画は大成功でした。十五日までに百俵の餅は全部予約済みとなり、約六百軒のお得意を得ることが出来た。そして畑中氏の説に違わず、この新兵衛餅は探しても他では得られぬ最上等の餅であったから、
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