と祈るのです。
開眼の降誕仏
新店員を試験する時、私は必ず『あなたの家では何の宗教を信じているか』と尋ねて見る。三分の二までは仏教という答、もちろん日蓮宗[#「日蓮宗」は底本では「日連宗」]とか真宗とか宗旨はそれぞれ違いますが。
日本の文化は昔、支那、朝鮮を通して仏教がもたらしたものであることは、皆もすでに学んで知っているでしょう。そして支那や朝鮮の文化はまた印度を母胎としています。すなわち釈尊の誕生された国が根元地というわけです。
後代仏教が既成宗教として種々の弊害を生じ、従来の信望を失い、また廃仏毀釈の憂き目に逢って、一時仏教の勢力は全く地を払った時代もあったにかかわらず、何の時代でも文化の上に仏教の恩恵に預らないことはなかったといって差支えないくらい、日本国民の魂には深く何ものかを植えつけられて来ました。昔は四月八日には仏教を信じると信じないとにかかわらず、日本中至るところで釈尊の誕生を祭りました。これはもう仏教徒だけの仕事でなく、一般に普遍して民衆的行事の一つとなっていたのです。ちょうどクリスチャンでなくとも十二月二十五日にはサンタクロースやツリーを飾り、綺麗なデコレーションを施し、これが暮の街のショーウィンドーの王座を占めるようになったと同じであります。そしてこのクリスト教とともに欧米の文化を取り入れ、それに心酔するようになってから、我々はいつとはなしに釈尊降誕の日を忘れ、クリスマスにばかり力を入れるようになり、まことに遺憾なことであります。ことに東京でこの傾向が甚だしいのです。
そこで私は今一度お釈迦様の誕生日を思い出し、全国に釈迦降誕会の行事を復活させたいと思い、昭和三年初めて降誕会を兼ねて、我が中村屋で花祭りをすることにしたのです。そして幼い頃の釈迦だんごを思い出し、さらに新しい工夫を加えて、現在行われている釈迦だんごを作り、中村屋考案の供物としました。ボース氏の母国印度で行われる「シガラ」「パイエス」等も新製して供物とし、おとくいにも提供することになりました。
毎年花祭りの頃、店でお祭りする降誕仏は大内青圃氏に託して製作したものです。故渡辺海旭師にお願いして厳粛に開眼の式を行い、供養をしました。供養の時には製作者青圃氏と令兄青坡氏、相馬家一同列席し、大導師渡辺師はじつに敬虔なる態度をもって、献香読経をして下さいましたが、居なら
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