心を悩ますのです。
 ついに長年行われていた中元歳暮の旧慣を廃し、絶対に問屋からつけとどけの物品を受けないことにして、ただちに問屋にその旨通告して諒解を乞うた。それでも名実ともに物を贈らぬ受けとらぬという店の鉄則を実行するには、相当の年数を要しました。

    商人の妻はお内儀さん

 私は本郷に店を持つとともに、先代中村屋のいっさいを継承しました。店員女中ばかりでなく、主婦をお内儀《かみ》さんと呼ばせることまで受けつぎました。いったい小売商人の家内を誰も奥さんとはいいません。奥さんは官吏あるいは教職にある人の夫人等、すべて月給生活をしている人の夫人にふさわしい称号ですが、小売店の主婦をお内儀《かみ》さんというのはこれも最も適当な称び方だと思うのです。それゆえ私は今でもあなた方にお内儀さんといわせ、奥さんとは決して称ばせない。うっかりあなた方が奥さんと私を呼ぶと、私はそっぽを向いて返事をしません。
 もし皆さんがお内儀さんというのを奥さんというのより低いと思うならば、それはたいへんな間違いです。夫人あるいは奥さんの仕事の範囲は、いわゆる奥の仕事で、おもに家庭に属する雑多なものです。が、お内儀さんの方は少しく趣きを異にして、家業の仕事の過半を受け持ち、中にはほとんど八、九分まで担当し、残る一、二分が主人の領分となっている家もあるのです。別に権利義務を云々しなくともお内儀さんの命令は行われ、自ずから威厳が保たれる。いうまでもなくこれはそのお内儀さんの徳と手腕によることで、お内儀さんだからいうことをきくというのではありませんが、とにかくお内儀さんは決して軽蔑どころでなく、正に千鈞の重みを感ぜしめる。それだのに女はどうしてお内儀さんといわれるのを好まないのであろうか。少なくともあなた方は店頭《みせさき》で私を奥さんと呼ばないように注意して下さい。

    主人主婦と店員の例会

 主人は病気でない限り毎日店に出勤して、報告を聴取したり指図したり、工場を見まわり、店や喫茶部の飾りつけに注意を与えたり、またものの決裁と人事に関するいっさいを主人自らやっていることをあなた方はよく知っている。しかし全店員と顔を合わせることはほとんど不可能です。まして私は二十年来病弱の身となり、昔のように立ち働いたり店頭に立って若い皆さんと仕事をするということは出来ない。したがって店に行くことさ
前へ 次へ
全118ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 黒光 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング