分慎重な態度をもって臨み、第一条件として家庭の質実純良なものから採るようにしている。そして高等小学卒業という全く清新な時に、その父母の手から直接に彼らを受取り、社会の悪感化より免れしめるように心掛けているのであるが、無論ごく稀にではあるが、少年店員の中に盗癖という悪癖を持っているものあるを見出すことがある。何という嘆かわしいことであるか、私はその都度その少年が盗みをするに到った原因を、出来るだけ彼の過去に遡り、また周囲の事情に照らして、即断を避けて慎重に調査して見るのであるが、たいていやはりその生れた家庭の欠陥に基くものであることが発見される。
しかも驚いたことには、その家庭というものが、人に真理を説き、善義を教える宗教家や教育者であったりして、どうしてこういう家からそんな不心得な者が出るのかと、実に意外に感じるのであるが、これはどうもそれらの父兄の表向き説くところと日常の行いが相反するのを幼児から見せつけられるのと、一つにはそういう家庭が社会から酬われるところあまりに薄く、経済的に窮乏しているためではないであろうか。
とにかく店員の悪癖は、主人にとりまた店にとって甚だ迷惑なことである。しかしその者自身としてはそれ以上はるかに重大な問題であり、何をもっても救うことの出来ぬ大きな悩みである。そしていったん発見されたとなっては一生の浮沈にもかかわるのであるから、その場合主人として実に責任の重大さを痛感させられる。
店としてはその店員を退店させれば、一時的の損害ですむことではあるが、前途有望な男一人を活かすか殺すかの鍵を握らされている主人は、これを簡単に処置することなどとうてい出来ない。やはりこれは自分の子供が同じ罪を犯したのと同様に考えて、あくまでも懇切に訓戒し、更生を誓わせるように努力せねばならない。しかしそうして見てもまた彼が同じことをする場合、あるいは病い膏盲《こうもう》[#「膏盲」はママ]に入っていて反省の見込なしと見られた場合は、もはや致し方なく、断固として退店を命ずべきである。そしてこの強硬手段が、あるいは彼を更生せしむるやも知れないのである。
しかし店主も大いに反省する必要があるし商売というものが、彼等正直にして純情な少年の眼にひどく易々と金の儲かるものに見えはしなかったか、ごまかしに見えはしなかったか。もしも店主が整理を急ぐ等のために不良な品を客にすすめるとか、価の知られていない物に対して高い値段をつけて儲けるとか、そういうことをしているとでもすれば、その場合店員を不幸罪に陥れたものはその店主自身であるとしなければなるまい。まして世間に往々あるように無理な経費節減として、あまり粗食で少年を我慢させ、乏しい思いをさせるなどということがあったとすれば、店員の罪はむしろ店主が負わねばならぬものであろう。
店主が公明正大な商売をして居れば、そういう不心得な店員を出すことも少ないのであって、もしも店員に罪を犯すものがあれば、如何なる事情にもせよ、店主は己れの不徳の致すところとして深く反省し、店員のみを責めるような処置は決してとってはならないのである。
店員の独立の約束はできぬ
私の店には二百十九人の店員が居るが、これらの貴重な青春を捧げて快く主家のために尽してくれる店員にどうして酬いたらよいか、将来の保証をどうしたらよいかということは、我々店主として大いに考えなければならない問題である。
御承知の通り時勢も昔とはだいぶ違って来た。例えば交通機関の発達という一つを取上げてみるにしても、ここ新宿に店を持っていて、電話一本でもって市中は言うに及ばず、郊外までも自転車あるいは自動車で迅速に御注文を果すことが出来る。これはどういうことかというと、同一な特長を持った店の対立は許されないということが考えられ、すなわち支店や分店は必要でない――のれん[#「のれん」に傍点]を分ける余地は現在ではもはやないということなのである。この点は店主たる人のよく心得ておかねばならぬことであると思う。
昔は相当の年期さえ奉公すればのれん[#「のれん」に傍点]が分けてもらえた。そして店員達はそれを目当にせいぜい[#「せいぜい」に傍点]小遣銭ぐらいの待遇で、冷めしを食べても満足して働いたものである。
ところが現在ではそののれん[#「のれん」に傍点]分けが出来ない。私は始終店員にこう語って聞かせている。「前に述べたような状態であるから、店として独立を約束することは出来ない。ただ待遇だけは出来るだけよくする。相当な月給で、相当な紳士として待遇するから、居たいなら何時までも永く続けていてもかまわない。また、月々の給料の中から出来るだけ貯えておき、将来いい機会さえあれば独立する。これは大いに望ましい。その時は店主としても好意的援助は惜しまぬつもりだ」と、これが私の常に抱いている気持なので、私達の若い時代のことを思い浮べ、青年時代の野心はできる限り満足させてやりたいと思い、せいぜい独立する考えを持つようにと勇気づけて居るので、結局その方が励みもつき、貯金もするし、成績もいいようである。
退店は拒まない
またこれもやはり時代のせいであろうか、昔風のいわゆるカケヒキ「損と元値で蔵を建て」式なインチキな販売法は今は流行らない。相当の知識を持った紳士的商売術で、別に奇術を弄さずとも相当のところまで行けるであろう。人間が正直で、手職に常識に販売に経営に私の店の販売台で相当年期をいれれば、その内には商売の原則も判るし、時代に順応してゆくコツも判るし、人格を重んじ、自己の使命を忠実に尽し、ことに人扱いなどということもよい体験が出来るから、長い間にはモノになると教え、実力において相当な時代的商人として世が渡れるように、努めて教育を与えているのである。
長く勤める店員に対して、恩給を与えてはどうかということも問題ではあるが、これは考えものであると思う。例えばある官庁などのように十年、十五年とだんだん恩給を増す式を、我が店員の場合に当てはめて見ると、明らかに彼らの気持を退嬰的にすることは事実である。店員はこの恩給を棒にふるのもなんだからと、恩給を逃さぬようにとばかり考えて、独立の機会を逸する事となりがちでありまた店主の方にすれば、あたら一個の男子を飼殺しにする結果になる。これは、前にも述べたように常に機会ある毎に独立するような心持で居て、貯金もせよ、遠慮なく店を退けという、恬淡たる態度でいるに如かずである。若い者にはそれ相当の夢もあり希望もあるのであるから、それを助長し、努力させて行った方が幸福ではなかろうか。
その代り、どんな優秀な、店にとっては貴重な店員にあっても、退店を申し出た場合にあってはあえて引止策は講じないことにしている。これは本人のためであると同時に店にとっても必要である。これを引止めたり延期を求めたりすれば、それは店員に慢心を起こさせて彼等を増長させるおそれがあるからである。
人格的人物の養成
昔は店の小僧と云えば一人前の人間でないとされて居た。主人がいなければ怠け出し、つまみ食いする。油断すれば銭箱をごまかす、とかく横着な代物のように考えられていたのは事実である。現代ともあればこの考えはすっかり改めなければならない。私の店では、店員はすべて紳士として扱っている。そうでなければ決して伸びるものではない。監視つきでいては番頭としてまかせられるものではないし、独立しても店主になる資格はつかないのである。
入店と同時におよそ人格的に人物養成の方針でやっている。そうすると、ただ忠実というだけでなしに愛店心も非常なものであり、少しでも店のために能率をあげようとしてかかるから、現在ではほとんど店員にまかせ切りの状態で、店主の私は毎日ちょっと報告を聞きにゆくくらいのもので――どんどん成績があがっているのである。結局人間の心掛け如何ということになるが、例えば日本菓子部の職人にしても、他所ならばせいぜい一日一人二十円平均位の製造高と聞いているが、店のは一日平均四十円以上である。さりとて、就業時間が長いというのではない。およそ十時間である。労働時間が十三四時間であろうが、店主の眼を盗んで、いたずらにむだ話をして本気で働く気でないのでは、決して能率は上るものではない。
大勢の店員達の内であるから、入店の時ずいぶん慎重な考査をしたつもりであっても、時に心掛けの悪い店員が居ないでもない。まあ毎年一人すなわち二十四五人に一人くらいの割でこれが居るであろうか、従来はこの一人を防ぐために、他の二十余人までいわゆる監視つきの注意人物として見ていたその気苦労もまた一通りではない。で、現在はこの考えをすっぱり[#「すっぱり」に傍点]と改めた。すべてを皆立派な人間として扱う。もしその内に間違いがあっても、これはとんだ怪我をしたものだとあきらめる。この考えを持つようになってから、店員の不正はかえって少なくなったと思っている。
常に店員に感謝
私は常に店員のために繁昌しているのだという感謝の念を忘れたことはない。ゆえに待遇も雇人扱いをせず、すべて家族並みである。例えば食事にしても、主人達と同じものを食べさす。否、それ以上のものを食べているとも言える。というのは、家族の者が時々店へ行って店員達と食事を共にすることがあるが、どうも内のより美味しいと言っている。それもそのはず店では専門の料理人がつき切りで世話をやくのに、自宅の方はなれぬ女中がつくるのであるから……夏になると家族は行かなくても、店員達は全部を二度ずつ鎌倉の別荘へ海水浴にやることにしている。この往復電車賃もすべて店主持ちである。
今年の夏も、私が下準備のために見に行った。そうすると、浜辺に無料休憩所というのがあるが、これは非常に混んでいる。ふとその隣を見ると、これはまた非常に気持のよさそうな茶屋がある。これは有料休憩所であった。十銭出せば大威張りで利用が出来るのである。そこで、店員達の気持にすればせっかく鎌倉まで来て、脱衣所が不便なばかりに充分に楽しめなかったとしたら残念であろうと思えたから、この場合の十銭の価値あらしめようと、さらに脱衣料としてそれだけ増して与えることにした。果して店員達は大喜びであった。
芝居も年に二度ずつ見せていたが、すべてこれは一等席で見せることにしてある。昨年から相撲をも見せる事にしたが、これも上等桟敷を買うことにした。何か御祝いの機会には、一緒に御飯を食べる。これも最高とまでは言わぬまでも粗末にならぬ程度、西洋料理なら二円五十銭、支那料理なら一卓三十円くらいのところにしたいと思っている。各自めいめいの金で食べるならともかく、いやしくも店主の費用で御馳走するのに人の後の方ですまされたとあっては、彼らの自尊心を傷つける事となる。また三度のところが二度であっても、第一流のところに招待する機会をつくってやると、自然に品性をつくり、行儀もよくなり、誰にもひけをとらぬという自信を持ち紳士としての修養にもなるようである。
物故した店員のために、この間も芝の増上寺で大島法主をはじめ、導師の方二十三人に出て頂いて法要を盛大に行い、店員一同店を休んでこれに出席したが、非常に行儀がよかったと褒められ嬉しく思った。店員は一人二人、特に抜擢はせぬ方針である。これは入店の際に厳選が利いているから、その必要を認めないばかりでなく、家族的の朗さのためでもある。
典型的な人
スタンレー・オホッキーは、ロシヤの製菓技師である。菓子製造に従事することすでに三十余年、ほとんど世界を隈なく渡り歩いて技術を研究して来た男であった。技術の優秀なる点では、残念ながら日本人でならぶものがなかった。
私の店では、以前、ロシヤ菓子は直接ハルピンから輸入して販売していた。それでは新しい品物を得ることが出来ない。いつも技師を雇ってこちらで造ったらと考えて居るところへ、その頃偶然にもモスコウから来たのが、我がスタンレー・オホッキーであった。
私の肚では、給料はその当時でま
前へ
次へ
全33ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング