ますことが出来るならば、一割は安く商品が売れ、従って顧客を吸収出来るようになる。
然るに今まで一般小売商人の多くは、この理を忘れて、何ら経営上の研究をせず、改良も施さず、安く売ることを怠って来た。さらでだに種々この点でハンディキャップを持つ個人店が三割四割の利を見込んで売ったならば、窮境に陥るのも当然と言わねばならぬ。
小売店には小売店のゆき方がある
都会地での魚屋が盤台を担いでお得意廻りをすることは、昔から一つの商売方法である。暢気な昔ならばこれもよかろうが、今日公設市場や百貨店の様な近代的経営方法が行われている時に、こんなやり方では時代錯誤も甚だしいことと思う。お得意を廻って、三軒に一つ、五軒に一つの御用を頂戴するだけでは、一日せいぜい三十軒、五六円の商売にしかならない。これに一日の労賃は二円くらいにつくことになるから、どうしても二三割高く売らねばならぬ。労力を節して居ながら安く売って、それに品物も豊富な百貨店や公設市場に顧客を奪われるのも当然ではあるまいか。
料理屋についても同じことが言える。料理屋はいつも忙しい商売ではない。年末か年始のお祝い事か忘年会、結婚の披露などを当てこんでいるので、そのために立派な家を建てて庭にも調度にも金をかけねばならず、雇人も常から余計に雇うことになる。忙しい年末年始に一時に儲けようとするから甚だ高い。単に料理だけ安く提供して四季共に忙しい現代的のレストランやクラブに、とうてい対抗出来るものではない。
都会地の牛乳屋なども、不合理な経営法の典型だろう。糀町の牛乳屋が車をガラガラ引ぱって浅草あたりまで行って牛乳を配達する。配達に使う労賃を考えると、牛乳一合七、八銭はやむを得ないかも知れぬが、如何にも不合理なやり方である。イギリス[#「イギリス」は底本では「イぎリス」]、ドイツあたりでは、牛乳一合は三銭である。どうして安いかと言うに顧客に、店で売るか、配達をしても店の付近の区内しか配達せぬからである。この点も従来の小売商人の充分考えねばならぬことであろう。
商いの繁閑を充分研究して、労力の配分を誤まらぬことも極めて大切なことである。私の経営する新宿の中村屋で初めパンのみを売っていた。ところがパンは夏はよく売れるが、冬になるとその半分しか売れぬ。商売が閑になる。そこで冬忙しい餅菓子を始めた。次に西洋菓子を始め、喫茶部を開いた。百貨店などには四季絶え間なく人が出入りしている。というのは、四季それぞれ買わるる品があるからである。
一週間の短い間を見ても、商いには繁閑のあるものである。私の店は土曜、日曜、祭日は贈答品や遠足のため特に忙しい。ところがその日曜、祭日に、学校、会社、官庁から、催しがあるから出張して店を出せと言って来る。私の店の品を信用しての注文であるから有難いことには違いないが、私は辞退することにしている。日曜や祭日はそうでなくてさえ忙しく、店だけで手一杯である。もし注文を引受ければ、臨時に人を雇わねばならず、手落ちもありがちになり、結局一時の利益のために、店の信用を損い、双方とも不利益を受けることになる。
先頃私の関係深い早稲田大学の五十年記念式の際に、品物を割引して入れよという話があった。この時先方は三割くらい引いてもよかろう、他の店でもそのくらいは引くのだからとの話だったが、結局特別の関係から一割だけ引いて、それも店の者は手伝いにやらず品物だけ納めることにした。その時三割引いたという餅屋の品を調べて見たところ、いつもの品より三割方だけ軽い。先方も安いからこそ繁昌している店、そう普段利益をあげている筈はない。安くしたのは小さくしたからである。こんなことをしては信用を落すばかりである。
私の体験から一つ二つお話したが商売の細かいところを突込んで話せばいろいろの材料はあるが、要は研究である。不景気といい、不況というが、弱き小さきものも充分生きる途がある。今日の如く優勢なる百貨店がかえって研究に熱心で、ほとんど三日おきに私の店の商品の値段を調べにやって来るというふうなのに、一般小売人が手を束ねて居ってはとうてい更生の道はないであろう。
従業員の無差別待遇
私の店には現在二百十九名の従業員がおります。その中には、半島人はいうまでもなく、極く少数ではありますが支那人、ロシヤ人、ギリシヤ人などといった国籍の異なった人々がいます。だがこれ等の人々に対する待遇は、食事はもちろん、寄宿舎の居室、寝具もことごとく同一で、さらにこの無差別待遇は職長と弟子の場合においてももちろん変りはありません。そうして私自身も日に一回だけは必ずこれらの店員諸君と共に食事をとることにしています。
店員の誕生日には店員一同と共に祝います。当日は「何々君の誕生日」であることを特に掲示し中食または晩食に、いつもよりはさらに何かしらの御馳走を必ず出すのです。この際だれ彼はみな本人に対して「やあおめでとう」くらいの挨拶で肩でも叩くのですが、このことが如何に店員相互の親しみをわかせ、忙しい仕事の間に一種のなごみを醸しているか、もとよりこれは店員諸君に対する人格尊重の微志より出たものであって、その結果のみを覗ったものではないのですが、自ずとそこに和気|靄々《あいあい》[#「靄々」はママ]としたものが生れるのです。
鉄拳制裁厳禁
「何々すべからず」「何々を禁ず」といったような規則は何一つない店ですが、古参者と新参の者とが一緒に働くところでは、とかく行われ勝ちな鉄拳制裁、それだけは如何なる場合においても決して許しません。暴力を以て自分より弱い者にいうことをきかせるなどは野蛮の極みです。もし私のこの意を解せず鉄拳を振うものがあったら、残念ながら退店して貰います。
また古い職場の情弊で自然、職長の前に職場員が卑屈になってはいけないと考えますので、人事関係はいっさい私直属にしています。もとより私は一視同仁なのですから、職長に対しても職場員に対しても、絶対に公平であり得ると信じています。
御用聞きに出さぬ
今日の小売商店で何商売にかかわらず、いわゆる御用聞きを出していないところはほとんどない。そうしてこの御用聞き戦がはげしくなればなるほど、小売商店自身が売上げに対する営業費の負担増加に苦しみつつあるのですが、私の店ではこれを全廃しています。その動機としてもちろん経営の合理化による営業費節減の目的もあるにはありますが、それよりもなお多分に、店員諸君の人格を尊重する所から発しております。今日の御用聞きの実状を見ますと、本当の意味での注文取りはほとんどなく、まるでお得意の台所への御機嫌奉仕です。主婦や女中に対してどうも卑屈な態度をとらざるを得ない有様です。台所口へ顔を出したついでに水を一杯汲まされる。ちょっとその辺の掃除を頼まれる。子供とか女中とかへはつまらないお土産が要る。これでは御用ききそれ自身の能率もさることながら、せっかく店内で尊重し合っているものが、一歩お得意まわりに出ると踏みくだかれてしまうのです。だがまあ商売とはそうしたものだとたいがいあきらめて、御用聞きも馴れっこになって要領よくやって行くのが世間並みでしょうが、それだと一個のパン、一折の菓子にすらずいぶん割高な値段をつけねば引き合わぬし、また引合わぬのを承知でそれをつづけていたのでは、遂に自ら没落の陥穽を掘るようなものです。そこで私の店では、前にも述べたように、一つの営業政策であるとともに、店員待遇の一消極法として、御用聞きを廃したわけです。
住宅手当 老人手当 子供手当
私の店の従業員中、その約三割が通勤者ですが、他はいずれも第一、第二、第三の三寄宿舎に収容しています。そうして通勤、寄宿の如何を問わず、その給与は、固定給と利益配当給の二つですが、なおそれ以外に出来るだけ生活の保障法を講じています。
まずその保障の諸手当をいって見ますと、寄宿を出て一家を構えたものには固定給の三割を住宅手当として支給し、つづいてその家族の中に老人のあるものには老人手当(一人四円)、さらに子供のあるものには子供手当(四円)というのを出しています。それで、一家を構えてしかも老人子供の多い家では、固定本給の十割にも近い特別手当があるわけです。それからそのほかに、家持の者は必ず一日一回は家族と食事を共にする義務を負わすとともに、一月四円ずつ夕食手当というのを支給します。
ところで私が何故この家族手当を支給することにしたかというに、これはずいぶん古くから考えていたことなのです。かつて独逸のビスマルクが、独逸官吏の待遇法を制定する際、本給のほかにその生活安定の手段として、特に家族手当の規定を設けるのに力を入れたということを、学生時代早稲田の講壇で故松崎蔵之助博士から聞き、私もそのビスマルク式に共鳴してぜひ自分も人を使う立場になったら、これをやろうと考えたもので、時至って実行したものです。生活安定は人の互いに力をあわせて実現せねばならない大切なことです。
利益は分配す
経営並びに待遇の合理化、そうして幸い商売繁昌した暁に考えなくてはならないのは、利益分配の合理化です。如何によく働くものばかり集ったのでも、そこはやはり利害一致の制度で、余計儲かれば余計分配するようにしなければ、最大の能率はあがりません。それが人情の自然というものです。
そこで私の店では、その月その月の営業の繁閑並びに収益の多少に準じ、固定本給のほかに配当手当を給与しています。
さらに私の店は株式組織ですから、年一回一月下旬の決算期には、純益の一部を従業員へ配分していますが、このほか歳暮、中元にはまたそれぞれ相当の手当を出します。
未解決の休暇問題
私は店員全体に一週一回の休暇を理想としているのですが、商売の性質上並びに従業員数の関係からいまだその実現の期に達しません。それで今のところ月三回の外、新年休と暑中休を与えています。
以上はまず私の店員待遇概要というところで、口に出していう時はこうして事実を羅列するにすぎませんが、いずれ人格の尊重ということを精神的基調としていることですから、もともと眼に見えぬ形而上の問題です。お前の店は何をどうしているか、と一々訊ねられて、完全な答をすることは容易なようで実はなかなかむずかしいのです。
店員の休暇について
私の店は以前平日は七時しまい、日曜、大祭日は五時しまいでありましたが、店の発展に伴い今日では営業時間を毎夜十時まで延長することになりました。と同時に三部制とし、朝七時出は午後五時まで九時出は七時まで、正午出は十時まで、と各十時間勤務に改め、ほかに月三回の休みを与えることにしました。
これでやや改善されたと考えていますが、毎年四月や十二月のような特に忙しい時にはまだまだ過労のように見受けますので、一週一日の休みと勤務時間を更に短縮する必要があると考えています。
こうして私が今日まで実行し得ないでいる日曜休を、秀英舎(今日の大日本印刷会社)の前社長、佐久間貞一氏が二十年前すでに実行して居られました。その理想に忠実なる、私は実に頭が下がります。また商店連盟会長の高橋亀吉氏も早くからこれを励行されているとの事であります。
しかし事業的に大成功せられた人々の内には、この佐久間氏、高橋氏等と反対に、いっさい自分の体験に基いて、少年時代にはちょっとの隙もなく、十六七時間も打ち通して働きつづけるくらいの熱と気力を必要とすると説かれている人もあります。が、それは万人にすぐれた精力の持主のことであって、一般の使用人に対して求むべきことではないと考えられます。
私の友人に、今は故人となりましたが、蚕業新報社の社長で竹沢章という人がありました。精力絶倫非常な熱心家で、朝は未明に起き、夜は十二時より早く休んだことがありませんでしたので、社長は一体眠ることがあるだろうかと社員等が疑問にしたくらいでした。
その頃私はこの雑誌の主筆として、一人の記者を紹介しましたところ、僅か二年でそ
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