一歩一歩は富士の山麓から山頂までつづけられる努力であって、それは決して私がやったように一時人を出し抜く早足ではない。誰を負かすのでもない。ただ正当なたゆまざる努力である。たとえば我が中村屋の店員の中に定めの時間より一時間も早く出勤する者があるとする。私は決してそれを褒めません。多勢が一緒に働く場合は、一二の人だけ特別に早く出ることは朋輩を無視したやり方で、朋輩の感ずるところもよろしくない。人間は持ちつ持たれつの協同生活で、好んで他を心苦しくするようなことはしてはならない。まして一人だけ早く出勤して精励ぶりを認められようとする心事だとすれば稚気憐れむべしだ。とうていこんなことで成功は得られぬのである。
 しかし朋輩よりおそくなることは断じてよろしくない。諸君の中にもたびたび遅刻して罰俸を受けるものがあるが、定めの時刻に遅れては定刻に出勤する人に対して相済まぬばかりでなく、左様に緊張を欠くことでは、生涯人後に落ちてうだつ[#「うだつ」に傍点]が上らん。以前店によく泣き言をいう職人があって、朝晩に「忙しくて困る。この家のように仕事の多いところはない」と愚痴をいうので、私も我慢が出来なくなって
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