に、生命保険をつけてやることにした。それは早大総長の田中穂積先生が、早大の勤続教授に実施していられるお話を聞いて、はじめたものであるが、非常にいい案だと思っている。ぜひ一般商店にも推薦したい。
 官吏には恩給制度があるが、一般にはこういう制度がないため、一家の主人が急死したりすると、遺族は立ちどころに困るという状態である。私の店では、そういう場合、相当の弔慰金は出す事にしているが、それだけでは心もとないというので、はじめたものである。店員に喜ばせ、ことに七八年勤続者などには、非常に励みを与えている。今年は八人であったが、十年後には五十人になる予定で、経費は一人当り年四十四円平均、一月一人三円五十銭くらいの僅かの掛金で済むし、だんだん掛金の支払額が軽減して来るから、昨年もそう負担を蒙らずに、老後の安心を与えることが出来る。

    彼を知り己を知るは戦って危からず

 支那の有名なる兵書に、
「彼を知り己を知るは百戦して危からず」
 という句があります。我々小売商が大百貨店を向こうにまわして、これと商戦を交えるに当り、彼の長所を見てこれに劣らざる工夫を為し、自ら短所を知って改むる事を怠らざるにおいては百戦して危からざるの対抗必ずしもむずかしくないと信じます。
 しかし一般の商店中には百貨店に多くの長所あるを知らず、ただこれに客を奪わるるを怨み、己れの短所を反省せずして政府当局の保護なきを難ずる者が少なくありません。これでは兵書に、
「彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず敗る」
 と断定せられし通り先祖伝来の堂々たる老舗も一敗地にまみれて、再起の望みなき者多きは当然と云わねばなりません。
 百貨店は仕入において、特製品において、販売において、初店員の養成において、指導において、配達網において、宣伝広告において、断然小売店を圧して容易に追随を許さざるものがあります。しかれば個人店の小をもって大なる彼と対抗する場合真剣なる研究が必要とさるるのであります。

    教えられる百貨店の経営法

 百貨店の組織というものは、もちろん世界の中で最も改良された、先端を走っている最新式の経営法によっているのである。
 私の如きはこの最新式経営による、百貨店組織に教えらるるところが多かった。
 従来の日本の専門店は、夏いそがしければ、冬はひま、冬いそがしければ、夏はひま、とかく営業が一方に傾いていた。
 私のところの店は、パンを売る店であったから、夏は随分いそがしく手不足くらいでも、冬はとかくひまで困ったものであった。そこへいくと、百貨店は、一年中そのいそがしい時、ひまな時にさほどの差異がないのである。
 私は考えたのである。暇が出来たからといって、雇人の首を切るわけにもいかない。いそがしいといって、臨時に雇入れたのでは役に立たぬ。百貨店のように一年中仕事に繁暇のない仕事を持っていかなくてはならないと。
 そこで、もち菓子を始めた。喫茶を始めた、支那菓子を始めた。かくして一年中だいたい仕事の上ではむらがないようになった。一年中一番いそがしい時期、一年中一番ひまな時期、その比率は十対七とまでは行かなくなった。
 仕事の上にも百貨店に導かれて、非常に能率的になった。
 たとえば菓子の折詰は前もって造っておいたのでは、お客さまは喜ばなかったものであるが、百貨店の影響で歓迎してくれるようになった。その他にも種々利益するところがあった。

    小売商人は親切とのれんを売れ

 我々小売商人は、あの堂々たるビルディングに納まって、最新科学の先端に立っているデパートとは、その量において相匹敵することは出来ない。
 しかしながら考えてみると、エレベーターを動かし、大演芸館を持ち、遊園を設備して、多大の資金と経費を投じているこのデパートの費用は、みな売上の利潤から支払わなければならない。
 我々小売商は、こうした資金経営を要さない。こうした多大の金を費わないところに、小売商がデパートと闘う強味がある。
 小売商人はこのデパートの要すべき多大の失費を、そのまま物価の上より引き去って、それだけデパートの売価以下に、廉価にしなければならない。
 小売商の中には「この品はデパートでは五十銭だのにあなたの所のは五十五銭で高い」と、お客にいわれ「デパートなみに安くはいきません」などという店もあるが、それはもってのほかというべきだ。
 常にデパートより安く、同価なれば優等品をと心がけて、その建築の外形においては及ばないがその実質において競争すべく、身構えるべきである。

    日本商船はどうして客をとる?

 次に客に対するサービスであるが、デパートは何百何千のショップ・ガールを抱えて、御客に応対せしむるに、その各々が満足な商品の知識を持たせることが出来ない。ただ定価通
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