次に店の業務を習熟するように教育せねばならぬ。
一、分限を越えてはならぬ。仏神を敬うのはよいが、これに凝って家業を怠り、寺などに多額の寄進をすることは慎しまねばならぬ。信仰は精神の問題であって、いたずらに物質的寄進をすることは別問題である(等々)
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 見るところこれは如何にも三井家始祖の遺訓らしくその慎みと誠実さ、またしっかりと大地に根を据えたような信念に頭の下るのをおぼえるが、よくこれを奉じて間違わなかった三井家代々の偉さも同時に思われるのであります。今は時代も難しくなり、当然二代目の悩みも深いわけで、親子ともになおさら戒心を要する次第であります。

    職長学七ヶ条

 私はせんだってある所で「主人学」という話をしました。その続きというわけでもないが、今は諸君に、主人学のお隣りの「職長学の修業」について話したいと思う。いま中村屋には職長級の人が十四五人いるが、いま年少な君達も、やがて職長となり、技師長となり、販売主任となるべきであって、職長学の修業は、常に心がけて、だんだん自分をその器につくり上げて行かなくてはならない。
 まず職長として第一に心得ねばならぬのは、部下の信頼を得ることです。その点は主人も同じだが、職長は主人よりいっそう骨が折れると思う。主人なればその関係は初めから決定的だが、職長は同じ雇われ人の中で上に立つから、とかく問題になり易い。しかし仕事の上から見れば職長は先生で、部下の若い者は誰もみな職長に教えられて、将来一人前として立てるだけの腕を磨かなくてはならないのだから、その意味では職長の方が主人よりも大切であるし、また朝夕を一緒に暮し、二六時中相語り相助け、よくてもわるくても責任をともにするのであるから、職長に向うてはしんみの父に対するような感じを持つのが自然だろうと思います。それゆえ部下の敬愛を受ける度においては、主人より主婦よりも職長の方が上かも知れない。
 ただしそれは職長が真に部下を愛して親切に指導する場合であって、職長にそれだけの自覚がなく、部下に技術を教えるのを惜しむようだとすると、誰も彼に従うことを喜ばない。たとえばパンの職長が醗酵素の種の作り方を秘密にする。菓子の職長が、材料の割り方や薬品の分量を教えない。それらはいわゆる秘伝にして自分が握っていて、部下にはいつも下働き的な仕事のみをさせておく、とすれば部下は不平を起すにきまっています。その結果は職場の能率が低下し、製品の出来栄えも落ちて、ついには職長が地位を失うことになる。まことに困ったことだが、世間にはそういう例が少なくない。しかし何故職長が秘伝を惜しむか、これには主人も大いに責任を負わねばなりません。
 それは何故かというと、職長が技術を残らず伝授して、部下がだいたいそれをのみこみ、ほぼ代理が出来るようになると、主人は高給を惜しんで職長を解雇し、給料の安い若い者に代らせるという例が世間に実に多いのです。職長もそんな目に遭っては大変だから、自分の地位を守るために部下に対しては内々気の毒に思いながらも、仕事の一部を秘密にして、後進の道を塞がざるを得ないのであって、考えて見るとこれも気の毒な話であります。諸君が将来そういう勝手な主人になってはならぬこと、これはもう言うまでもないが、職長となって部下を率いる場合にも、技術を教えしぶるようではならない。主人は職長の地位を保証して、懸念なく指導者としての働きをさせるようにし、職長は安心して親切に後進を導き、部下はその教え子として職長を敬愛し信頼して修業を積む、そうあってこそ互いにその職分に満足出来るのであります。
 しかし世間の職長の気風はよくないものがあって、部下から何かを教えるに際し、いちいち報酬を要求するものがある。また月末給料の入ったのにつけこみ、花札、将棋、麻雀などに誘うてこれを巻上げる。あるいは飲食店につれこんで、一緒に飲食して、その勘定を負担させる。部下はそれに対し泣寝入りでついて行かねばならないなどというのが珍しくないが、かような輩はどれほど技術が優秀でも職長たるの資格はありません。主人は即時にこれを解雇すべきであります。
 次に、職長は自分の担任する部内で、何か失態を生じて、主人あるいはお得意に詫びなければならない場合となった時は、たとえそれが部下の過失であっても、自分はその部の長であるから、責任を負うて、部下に代って陳謝すべきであります。職長の中にはこれの出来ない人があって、往々部下に全責任を負わせ、自分は知らぬ顔で済まそうとする。これが単にその男の小心から出ることもあるが、とにかく少しでも責任を回避するところがあっては、人の上に立って信頼を得ることは出来ない。まず職長の資格はないものと言わねばなりません。
 しかしまた、部下に人気があるから必ずよい
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