配人まかせに致したら、人事の公平はたちまち破れ、大いに得意な者が出来るとともに、ひそかに面白からず思う者が出来てまいりまして、その結果、集団生活に最も大切な協力一致が失われるのであります。主人ですら完全を期し難いものが、番頭や支配人に行い易かろうはずはないのでありまして、そこには幾多の感情が混り、自ずと自分に都合のよろしい者を重用して然らざる者を疎外する結果となるのは致し方のないことであります。大きくは国家の上に見ましても、一国の君主にありて国民をことごとく一視同仁、平等に愛されるのが、降って大臣となりますと相当人格者であっても、自分を推挙し自分を支持してくれるところの一党一派を重用して、反対党を疎外せざるを得ないのであります。まずそういうわけでありまして、部下の進退任命の如き大切なる事は、主人たる者の役目として如何なる時にも自らこれに当らなくてはなりません。また支配人や番頭任せにしてならないばかりでなく世情に疎い妻女や伜等の感情や私見に左右されることのないよう、大いに警戒すべきであります。第三は、
「主人と部下との利害の一致」を必要とします。昨今のように、軍需品工業が大いに好況で、これ等の工場では相当大きな利益の上る時でも、一方にはまだまだ多くの失業者があって、働く人を安く雇うことが出来るために、部下の待遇を少しも改善せず、ますます主人のみ利益をあげて行く、というようなところがあるようですが、そういうやり方は決して部下を得るものではないのであります。我々菓子屋の方にもそれがありまして、日本菓子の職人というと、とうてい生活して行けそうもない薄給しか与えられない習慣になっております。もとより主人側の好都合でありますから、相当利益のある店でもこの昔からの習慣を改めないのでありまして、職人はそれではくらして行かれませんから、やむを得ず砂糖や玉子、また製品をひそかに持出したり、あるいは原料問屋から心付を強請したりするのであります。主人ももちろんこれは感づいていまして、それゆえなおさら高給ということを致しません。品物をぬかれるものとむしろはじめから見込んでおくのであります。これでは職人も悪いと思いながらも、ますます盗み出しの必要を感ずるということになります。無論かような対立的の態度でありますから、仕事の成績はよろしくなるはずはありません。
 この事情に関して少々手前味噌のようにも聞えますが、私が実地経験致しましたことを御参考に申上げます。私の所は最初パン屋でありましたので、今日でも中村パン店と呼ぶ方が少なくないのでありますが、パン一種の製造のみでは、夏は非常に忙しくなりますが、冬になるとひま過ぎて困りましたところより、何か冬売れるものをと物色しまして、日本菓子を併せて製造販売致そうと思い立ち、これを始めましたのが今より三十年前であります。さて菓子職人を雇入れて見ますと、以上申せし如き悪習慣がきわめて多いので何とか改良すべきだと考えまして、当時東京で第一流店主人に話して、職人の給金を増して、盗みぐせを止めさせるようにしてはと相談しましたところ、その主人の答には、彼等の盗みぐせは、菓子職人社会の何百年来の習慣であって、いまさらそういうことをしてみたところで改まるものではない。やはりその盗み分をおよそ見積って、それだけ給金を少なくするよりほかはありません、ということでありました。
 しかし私にはそんな無情なことは出来ませんので、給金を倍にしまして、なおまた子供のある者には子供手当、老人があれば養老手当を添える等心を配りました、なおまた特に忙しく利益の多かった時は、これを分配するように致しましたところ、彼等も生活の安定を得るとともに長年の習慣の悪しきを悟りまして、その物品の持出しのこと、またコンミッションを取るなどのことは全く根絶いたしまして、その上製造能率が非常に増加致しました。従来職人一日の製造高は十円ないし二十円で、平均して十四円見当でありましたのが、私の所では現在平均四十四五円になって居ります。すなわち三倍の成績をあげているのでありまして、待遇改善から自然にこの好成績がもたらされたのだと私は確信するのであります。
 今日大会社や官庁において、仕事の能率がすこぶる低く、だいたい一般民間のそれに比して、三分の一ぐらいの働きより出来ていないと申しますが、もしも上に立つ人々に部下を思うの真実があって、この辺の注意がよく行われましたならば、左様な状態に止まることはなかろうと思われるのであります。大会社等でいわゆる上に立つ人とは、単に大株主とか大財閥の関係者というだけで、幾つかの会社の重役を兼ね、自動車で乗り回しているだけで、毎月数千円もの収入がありましょうが、それに反し、真に力量ある活動力ある秀才が、僅々六七十円の俸給に甘んじていなくてはならぬの
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