もので、一家ことごとく同じ食物を与えられるのを目前で見ながらも、主人の箸が象牙で、茶碗[#「茶碗」は底本では「茶腕」]汁椀も蓋つきのものを用いていれば、同じ味噌汁香の物であっても何となくうまそうに見えるものである。まして目の前に主人のみ酒肴を供えて、小僧等にはおあまりのみでは実に堪ったものではない。ある富豪へ嫁入した婦人から、一つの述懐談を聞いたことがある。この婦人が輿入れ[#「輿入れ」は底本では「興入れ」]した当時は万事につけて何となく遠慮勝ちで、三度の食事も充分に食べ得ない。さりとて雇人どもの手前もあるから、菓子の買い食いも出来ないで、始終空腹を我慢して居った。それゆえ下女が毎朝お釜を洗う時、釜底にへばりついているおこげやお櫃についている僅かの飯粒を、手で掬い上げては口に入れるところを見て、実にうまそうで下女の境遇を羨んだことがあったと。家族の一人である嫁の資格でありながらなおこの如くである。いわんや下女小僧の境遇、さもしい心の起るは当然のことである。彼らの最大苦痛は仕事の多いのでなく食物の不充分なことである。ゆえに主人たるものはよろしく小僧の意中を察して、家族の一員として相応に働きいることなれば、食物だけは特別御馳走はしなくとも、家族一統平等に腹一杯与えてもらいたきものである。否当然そうあるべきもので、これをせぬ主人は非道不法の者と称すべきである。
店員の容貌と商売の繁栄
世には男子の顧客をひきつけるために、美人を店先に据えておき飾り物とする人がある。一時は何屋の何子とか何店の内儀さんだとか、娘だとかいって、大騒ぎされるが、美人必ずしも店の繁栄を来すものとは限らない。かえって漁色家連の間に引張りだことなって、その結果嫉妬のため店の妨害をされることが沢山ある。ある店の娘さんは絶世の美人だという評判で学生間にもて噺され、自分なども女ながら好奇心に駆られて、わざわざ糀町の寄宿舎から本郷台まで見物に出かけたことがあるが、この店は娘のきりょうを鼻にかけるのでもあるまいが、主人を初め小僧番頭揃いも揃って無愛嬌でつんけんして、客に向って甚だ不親切であったが、果して今日はあとかたもなく潰れてしまった。男女にかかわらず、美女美男だから客をひきつけるのではなくて、つまり福々しい愛嬌のある人が客に応対して成功するものである。要するに人に快感を与えるのであって、世の中には醜の部に属すべき容貌でも何となく人になつかれ好かれる人があるものである。どこを取り立てていうことは出来ないが、一種のチャームを持っているのである。富豪大倉喜八郎氏の成功は実に彼の福相によると人はいうが、さもあるべきことと思う。当店の店員中にも容貌秀麗というほどではないが、小綺麗でちょっとの目に立つ男があった。商家に養育され商法は一通り心得ているので、一部の行商を受持たせたが、いっこうに成績があがらない。何故か今までの得意は離れてしまい、売上げが半分以上減少した。我々は驚いてその原因を研究したが、これ全く彼の容貌が、人に一種の不快を与えるによることが判明した。彼は如何なる容貌を備えていたかというに、前にもいう通り、小綺麗な男振りであったがふくよかさを欠き何となく冷たく、そしてちょっと形容の出来ない厭味があった。また言葉が明快でなく、気がついてみれば我々にしても決して彼から愉快な感じは受けていなかったのである。従ってお得意ではいっそう不愉快に感じられたに違いなく、それで彼の行商を取り止め、別の者がその持ち場を廻ることにした。これはまだ十五六歳の少年で、商売にも馴れず、まだ店の品目代価さえも覚えないくらいの新参であったが、現に前の店員よりも好成績を得ている。この小僧は特にお世辞はいわない。また安売りして客をひきつけるというような策があるのでもないが、顔がまるまる肥っていて、一種の愛嬌があり、誰しもこの小僧にはちょっと言葉をかけて見たくなるような気がするのである。しかしながら福相につくろうとしても人工で出来るものでなくまた幸い出来たところが人工であるから不自然である。つまり客に対して商売以外に親切正直であるよう、この心掛けあってこそ自然口から愛嬌も出て顔容も福々しくなるのである。
商人の自尊心と商業の快味
店頭からオーイ姐さんパンを二貫だけおくんなと怒鳴り込む車屋さんの意気もとくと呑み、やたらにお前よばわりをし給う八字髯様の横柄さ加減も見馴れ、お客様というものはすべてこうしたものと覚え、かえってものやさしくいたわるる時は有難すぎて勿体なく、きまり悪しきこともあるが、時には勘忍袋の緒も切れるかと思うこともある。
我が店員の一人、ある家に御注文伺いした時、毎度有難うという。商人が客に対して捧呈すべき御挨拶を言上せしところが、当家の御主人わざわざ台所へお顔を出さ
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