は、正札主義をあくまで守り通すことが大切であります。

    広告費について

 広告は、自分の店の存在を明らかにし、店の特長を知って貰う上から非常に大切なものですが、しかしこれをあまり重要視しすぎて、その釣合を失い肝心の商品をして値上げまでしなくては立ち行かぬようでは考えものだと思います。薬九層倍といいますが、これは宣伝費が売価の大部分を占めているからであります。
 他の商品にあっては、よろしく限度をきめて、売価に影響せぬ程度が必要でありますから、総売上げの百分の一以下が適当ではないかと思います。米国のチェーンストアは百五十分の一となっておりますのに、米国の百貨店は三十分の一で、約八倍の広告費を支出するため、前者の方がそれだけ安く売れますから、百貨店はチェーンストアに得意を奪われているのであります。

    仕入のこと

 仕入は総て品質、値段、時季、産地等その間の事情をくわしく調査してかかることはもちろんでありますが、問屋を相手とする場合とても得意に対すると同様にこの方針で、誠の心をもって終始する心掛が必要だと思います。
 よく相手の足元につけこんで、徹底的に値切り倒し、あるいは些少の金利を目あてに支払いを延期するなど、これを称して商売のかけ引の上手のように教える人がありますが、これはとんでもない誤りであります。
 問屋荷主に不安や不快を与えるほど仕入の上に不得策はありません。またこの小策を要する商人は、決して大成するものではありません。

    正札附の人物たれ

 一個の商品に二様の価なく、いっさいの顧客に平等の待遇[#「待遇」は底本では「体遇」]を致すのが商道の極意であります。これが正札の原則で、目前の小利に眩惑して価を上下し、貴賤によって礼遇を差別するが如きは商売の堕落であって真の商人たる価値なき者であります。商品に良品廉価の確信があって初めて真実の価があり、真実の定価があってここに正札がある。品質に疑あるか価値において他の優越を恐るる如きことあれば、正札は真の正札ではない。終いにはその価を二三にせざるを得なくなる。
 ゆえに商人として其の誠実に忠ならんとするならば必ず商品は正札をしてすこしも上下してはならない。正札を守らんがためには最も合理化せる経営をしなくてはならない。
 而してこれらのすべてを完成せしむるには、まず自分として表裏反覆なき正札付
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