の念をおぼえ、従って部下を愛することになるのであります。するとまた部下の方でも喜んで働き、決して骨惜しみなどいうことはないものであります。
 これに反し、主人の方で、月給を払うから働くのだという頭でいるとすると、働くのは当然だ、いやまだまだ働きが足りない、もっともっと隙なく働くべきだとなって、部下の働きを相当に認めることが出来なくなるのであります。そうすれば部下も反抗心を起して、何だ雀の涙ほどの小遣いしか出さないでおいて、そんなに働いて堪るものかという気になって、自然横着をきめざるを得ないのであります。
 お互いにそんなふうになってしまったら大変で、どちらも自然に発露する感謝の念によって扶け合い、主人はどこまでも誠実に部下を率いて、はじめて仕事が順調に運ぶのであります。第二は、
「部下に対してあくまで公平であること」であります。
 多勢の者を使うのに分け隔てがあってはならない、誰に対しても公平でありたいとは、誰でも思うことでありますが、実際に当って見ると、これくらいむずかしいことはありません。早い話が自分の生んだ子供でさえ多勢あればこれを平等に愛するのは容易ではありません。長男はグヅでいかん、次男は反抗的で困り者だ、三男だけがよく言うことを聞き、才能もあるようだとなると、ついこの三男を偏愛する、というような実例はどこの家にもありがちであります。
 同じ血を分けた子供に対してさえそうなのですからまして多くの使用人の中には無愛嬌で触りのわるい者もあれば、働きの割に結果の上がらないような損な生れの者もあり、また如才なくてかゆいところへ手の届くような者もあります。虫のすく好かんということもあり、つい一方を重く用い、一方を疎かにする弊に陥りかねないのであります。ところが事実はどうかというと、無愛想でごつごつしているような人間の方が仕事に忠実であって、要領のよろしい才物は往々にして横着者であります。
 それゆえ、主人は根本的に人を見る明が必要であると共に、真に一視同仁でなくてはならないのであります。が、これがなかなか困難なことで、決して口で言うようにはまいりません。平常人事を行うに充分公平を期しているつもりでも、その結果は、どうかこうか公平に近いという程度に止まるのであります。
 それでまだ主人直き直きに行えば、まずまず大きな間違いはないとしましても、もしこれを番頭にまかせ、支
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