は醜の部に属すべき容貌でも何となく人になつかれ好かれる人があるものである。どこを取り立てていうことは出来ないが、一種のチャームを持っているのである。富豪大倉喜八郎氏の成功は実に彼の福相によると人はいうが、さもあるべきことと思う。当店の店員中にも容貌秀麗というほどではないが、小綺麗でちょっとの目に立つ男があった。商家に養育され商法は一通り心得ているので、一部の行商を受持たせたが、いっこうに成績があがらない。何故か今までの得意は離れてしまい、売上げが半分以上減少した。我々は驚いてその原因を研究したが、これ全く彼の容貌が、人に一種の不快を与えるによることが判明した。彼は如何なる容貌を備えていたかというに、前にもいう通り、小綺麗な男振りであったがふくよかさを欠き何となく冷たく、そしてちょっと形容の出来ない厭味があった。また言葉が明快でなく、気がついてみれば我々にしても決して彼から愉快な感じは受けていなかったのである。従ってお得意ではいっそう不愉快に感じられたに違いなく、それで彼の行商を取り止め、別の者がその持ち場を廻ることにした。これはまだ十五六歳の少年で、商売にも馴れず、まだ店の品目代価さえも覚えないくらいの新参であったが、現に前の店員よりも好成績を得ている。この小僧は特にお世辞はいわない。また安売りして客をひきつけるというような策があるのでもないが、顔がまるまる肥っていて、一種の愛嬌があり、誰しもこの小僧にはちょっと言葉をかけて見たくなるような気がするのである。しかしながら福相につくろうとしても人工で出来るものでなくまた幸い出来たところが人工であるから不自然である。つまり客に対して商売以外に親切正直であるよう、この心掛けあってこそ自然口から愛嬌も出て顔容も福々しくなるのである。

    商人の自尊心と商業の快味

 店頭からオーイ姐さんパンを二貫だけおくんなと怒鳴り込む車屋さんの意気もとくと呑み、やたらにお前よばわりをし給う八字髯様の横柄さ加減も見馴れ、お客様というものはすべてこうしたものと覚え、かえってものやさしくいたわるる時は有難すぎて勿体なく、きまり悪しきこともあるが、時には勘忍袋の緒も切れるかと思うこともある。
 我が店員の一人、ある家に御注文伺いした時、毎度有難うという。商人が客に対して捧呈すべき御挨拶を言上せしところが、当家の御主人わざわざ台所へお顔を出さ
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