所に突進して、日頃の鬱を散ずることであろう。その結果彼らに悪習慣を作らしめるのみである。ゆえに欧米各国の如く、普く文明の行き渡らない我邦においては断じて雇人に日曜の休暇を与えないがよいという説である。
 自分は開業以来この問題のため幾回苦慮したであろう。幾人の意見をきき、そうして自分はますます迷った。けれどもついに店員に向って半日休暇を与えることに決った。この結果はやはり誰もいう如く、月曜日はたしかに不成績であった。日曜の休暇は、営業上収入[#「収入」は底本では「収人」]の減少を来たすが、それは意とするに足りない。ただこれがために惰気を生ずるのを恐れるのである。朝も例日よりはおそく起き、配達にも手間が取れる。下女もふらふらとヘマばかり働く、菓子の製造が遅れる。店が乱雑を極めるというように、万事不都合たらたらである。しかしこの休暇を楽しませつつ労働せしむれば、休みなき七日よりは六日間の仕事は好結果を示している。たとえ休みを与えることによって、多少の不都合を生ずるとしても、あれも人の子樽拾い[#「樽拾い」は底本では「樽捨い」]、小僧も女中もやはり人の大切な子である。一週に一日あるいは半日の休みを与えて心身を休養せしむるは至当の事といわねばならぬ。我が店員等が明日の楽しさを想像して喜色満面という土曜日の夜は如何に我が店の賑やかなることよ。床屋に走るあり、襦袢の襟をかけ直すあり、あたかもお祭りの前日の如くである。我等はこの有様を見て、昔の我が寄宿時代を思い出し、微笑を禁ずることが出来ない。

    従来の小僧制度を改むべし

 従来小僧を雇うには、その職業を本人の年齢によりて、多少の相違はあるが、たいがいは数年もしくは七八年の年期を約束して雇うのである。この間に主人は弟子として万事の世話をすべきはもちろん、一人前の職人あるいは商人を仕立上げねばならぬ責任のあるもので、小僧はまたたとえ如何なる事情があるも、年期内に暇を取り、あるいは中途で奉公がえする等のことは断じてなすまじきことを誓いしほかに、保証人を立て、初めて主人と小僧の関係を結ぶものである。この方法はいたずらに出入りして我がまま勝手を行わしめぬ予防に過ぎないが、時に本人に甚だ不適当にして、将来見込のない仕事を無理無体に強いる場合がある。これは普通の我がままと違って、主人と本人の父兄も大いに酌量して、他に善後策を講じて
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