る両親の食いものとして犠牲に供せられるのである。またある父兄は極貧饑に迫る境遇でありながら、我が子を小僧見習に出すのをこの上なき恥辱と心得ている輩もある。これらが小僧払底の最大原因であろう。愛児を他家へ奉公に出すということは、情において忍び難いところであるけれども、かりに家において職工の下働きとして通わせたり、給仕として通勤させて三四円の金を得たところが、これは本人の食料にならぬではないか。また幸いにして昇進したところが、大発達を逐げられるものではない。しかるに小僧丁稚としてある業を見習わせておけば、その時ただちに月々送金するということは出来ないが、自分だけの食料は主人から与えられ、少しくらいの小遣銭も貰える。また数年あるいは七八年の後にはともかく一つの職業を覚えるから、主人から暇を取ってどこへ行っても一人前の職人として、あるいは番頭として、立派に生活して行くことが出来るのである。しかるに愚昧なる父兄はただ目前の小利のために愛児の前途を全く誤らしめていながら、少しも悟るところがないのである。
 小僧の不足に反して、二十歳より二十四五歳前後のいわゆる中年者の口を求める者の数多いことは実に夥しい。一日新聞紙上に店員募集の広告をしてみるに、早朝から様々の風態したる中年者の来襲を受け、応接するにいとまなき程である。彼らは如何なる種類の人であるかといえば、たいがいは学生上りの、のらくら者の果てか百姓に生れて百姓仕事を嫌いな田舎者もしくは中途で今までの仕事に厭気がさし、骨が折れずに金の沢山取れる職業に乗り換えんとする横着者であって、いずれも怠け性の者で、仕事に真面目でないこというまでもなく、小僧の欠乏よりせん方なく彼らの一人を採用して見るに、初めその店の事情に疎く、品目さえもまだ呑込むこと能わざるうちは、以前から雇われている一三四歳の小僧の配下にいて、すべての指図を受けねばならぬ。給金も未熟な新参の時代には多く与えられるものでないが、本人はなかなか腹の中で承知しない。また比較的小僧より広く世間を渡って来ているから、うまい物の数も多く知り、巻煙草ものめば、酒ものみ女も知っているゆえ、なかなかはした小遣銭では満足できない。そこで悪い方にはいち早く手が出るようになり、主人の物をかすめるか、あるいは得意先に不都合を働くかして、ついに主家を自らとび出し、あるいは追放されるに至るのである。
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