とに決心した。また彼の叔母に当る人で、金持の呉服屋があった。けれども彼は立派に店でも持たないうちは出入りをしないことに心をきめて、いささかも依頼することなく、朝は未明に起きて油を売り、夜はわらじのままで板の間に腰かけて夕食をしたため、惰気やねむけの催さぬうちに、また暗の中にかけ出して俥を挽き、粒々辛苦実にいうに忍びざる苦境を経て、半年の後には得意は二百軒に増加した。これでいささかの希望の曙光を認め得たので俥挽きを廃業して油売り専門となり、満一ヶ年目には三百戸となり、数年目の今日五百軒に達したので、今は小僧を雇いて共に得意廻わりをなし、妻は店を担当して、夫婦共稼ぎに精々働いた結果、資本裕かになり、生活も楽になったとのことである。そして彼は得意先一軒ものこさず毎日御用伺いに行くのであった。自分はこれを見て御用伺いを隔日にすればよほど手数が省けて好都合であろうと思ったことであったが、彼の得意筋は石油五合一升と買いおきの出来る余裕のある家ではなく、その日暮しの日雇稼ぎ人か工場通いの労働者などを相手の商売であったのだから、ぜひ毎日毎日時間を決めて廻わり、夜の間に合わすのでなければ不便を与える。そうして便宜をはかるのでなければ得意を失う。それゆえ毎日かけ廻って御用をきくということであった。はじめ彼が資本として残しておいた二十円の金には死すとも手はつけまいと決心してこれを実行した。その覚悟と精励刻苦、ついには彼は志を貫いたのである。自分はこの油屋に敬服し、その経験談はいつも我が弱き心を刺激し発奮せしめるのである。かくの如く我が好模範は大厦《たいか》[#ルビの「たいか」は底本では「たろか」]高楼に枕を高くしている大事業家ではなく、心なき人の足下に蹂躙せらるる野末の花に等しい名もなき小売人の中にこそ我が学ぶべき師はあるものと信ずる。
大商店に奉公せんよりは小さき店を選べ
我邦屈指の大商店の番頭は、その店へ通勤するのに人力車をもって送迎されたと聞いているが、この人独立で同業を開店し、大いに日頃の敏腕を自分の商店において縦横に振わんとしたが、開業後間もなく閉店することになった。有名な大商店の番頭ともいわれる大技量ある人が、何故一小店の店主として成功しなかったかと、自分も一度は不思議に思ったのであるが、忽下の如き解釈がついた(もっとも失敗には種々の原因はあるが)。大商店として
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