種類によっては断然思い止まらねばならぬ。例えば玉子屋、果物屋、八百屋、菓子屋、小間物店等の店は、烈しい夕日を受けるために損害ことに甚しく、とうてい夕日を受けない店と競争すること能わざるゆえ、早晩移転する外はない。ひとり蒲団屋だけは夕日を受ける方が得策である。されど概して如何なる商店にも夕日を受けぬ方が利益多きゆえ、同じ町内でも夕日を受けぬ側の方が地代家賃も高いことである。

    五、建築の注意

 銀座等の如き路幅広き町に、二間や三間間口の小規模の店は、もはや商店として仲間入りは至難のこととなった。ゆえに近来しきりに市区改正せられて、道路の大いに広まるとともに、建築を壮大に改め、人々の注意を引かんとする傾きが著しい。かくの如く互いに壮麗高大を競う今日となっては、勢い西洋風の大建築に改めなければならぬ。普通の日本風の二階建は低くして見すぼらしいから、遠からず三層四層の壮観を仰ぐに至るは明らかである。欧米の大建築もたぶんこれと同じ理由から来たものではないか、とすれば今日より十年後には日本橋の大通りなども、欧米の市街に劣らない美観を呈するに至るは想像するに難からざることである。それゆえ今において新たに開店せんとする人は、路幅と比隣の有様を見、将来の発達を期して路幅の広い街に狭い間口の家を求めたり、あるいは低き新建築などを営んではならないのである。

    六、間口と資本の関係

 資本はその商売の種類と奥行の深浅によって一様に定め難いものであるが、おおむね間口の広狭に従って、資本の多寡を定むるも差支えはないであろう。例えば二間の店ならば二二、四百円、三間ならば三三、九百円、四間ならば四四、千六百円以上くらいと見積れば甚しい誤りはない。もっとも商品の種類によって宝玉の如く嵩《かさ》すくなくして価値のあるもの、あるいは嵩ばりて金目の少なきものもあるが、間口の広い割に資本をかけなければ商品がまばらで、ただ一通りバラリと配列されるのみでは店が薄っぺらで、貧相で、品物も古くさく思われ、せっかく店に立寄っても品物を買う気になれぬものである。これに反して、間口狭く奥行深き店にたっぷり資本をおろして、商品を裕かに所せまきまでこれを陳列し、一見ごたごた然としておけば、店は何となく活き活きとして、品物も新しそうに見え、甚だ心地よいものである。

    七、古株の価値

 世人はとかく
前へ 次へ
全165ページ中132ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング