資本倒れとなってしまう。むしろ品質の精良に努めなくてはならん。東京人は概して安値よりも品質の精良を好む習慣がある。しかも一般の趨勢が追々に贅沢に傾きつつあるから、今後の競争の要点は品質の精良と確実とに帰する。この事情をのみこまずにいる商人は、終には失敗に帰するのである。
六、装飾と仕入れの呼吸を知らず
店頭の装飾の如何は、客を引きつける上に大関係がある。中流以下の多数の客を相手とする店はあまり綺麗にすることはかえって不得策である。例えば居酒屋、飯屋、駄菓子屋などでは、店を綺麗にしたために、全く顧客を失った例は沢山ある。これに反し、中以上の客を相手の店では装飾はなるべく綺麗にする傾きが近年ことに著しい。パン店などでも、五年前には装飾費用が二三百円くらいで足りていたのが、今日ではこのために千円以上を費さなくてはならぬ有様である。だいたいの装飾の一般程度といえば、これはその場所に適応せしめなくてはならん。近隣よりもあまりに飛び抜けて綺麗にしては、客は入って来ることを躊躇するのである。もしまた近隣よりもはるか見劣りする店ではもちろんよろしくない。要するに近隣の平均に少し立ち優るくらいがその場所には最も多く客を引く程度である。
さらに、仕入の事について一言すれば、仕入の種類及び程度を鑑別することは最もむずかしい。仕入が寂しくては客を引き顧客を広むることは出来ず、またやたらに品が多くては廃物が出来る。呉服物ではその季に売り損えば、翌年はもはや流行後れとなって、廃物となる品が多い。菓子や果物類は一週間売れなければ廃物となる。廃物がどしどし出来ては商売は成り立たぬわけである。店を大きくする以上は、多少の廃物は免れまいが、それをなるべく少なくするには、常に流行の趨勢を察し、嗜好の移り変りを吟味して、絶えず客の嗜好性を導くように心得て仕入なくてはならぬ。この加減が飲み込まれるには多年の経験を積んで、よくその土地の事情に明るくなくては出来にくい。これが田舎出の人には最も難物である。
七、店員の使用法を心得ず
最後に小僧の使用法について一言すれば、商家のほとんどすべてが小僧店員の欠乏を感じて居るが、これは畢竟[#「畢竟」は底本では「畢境」]主人が小僧店員の虐待にほかならぬ。世間はすでに立憲政治の行われているに、家の中はなお封建制度を墨守しているものが多い。主人
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