な有様でありますので、さすが物質文明に慣れて居る人々も一日中こんな家の中にはいられない。そこで外に出て伸び伸びとした気持を味わうことになる。従って喫茶店にはいるといった具合で、喫茶店は大入り満員となる。しかも早く家に帰っても仕様がないので、寝る時間になるまでここに居ようという心理状態になるのだと思いました。
 だから喫茶店の繁昌することはおびただしいが、喫茶店の方ではさほどに儲らない訳であります。
 西洋では公園が至るところに沢山ある。その公園へ行ってみると、大勢の男女で賑って居ますが、これを今言ったように牢屋のような所にばかり居られないので、公園にでも行く、一人で行くよりもお隣りの娘さん、但しお隣りといってもお隣りの部屋、また上もお隣り、下もお隣りですが、その娘さんなど誘ったりして公園の散歩としゃれる。そして一緒に散歩してくれた駄賃にコーヒー一杯ぐらいおごるというふうになります。
 それを日本の人が見て、日本には公園がない、大いに西洋におくれて居ると騒ぎ出したので、東京にも多くの公園が出来た。しかしその公園は子守っ子が遊んで居るのみでいっこう利用されない。先年の大震火災に際して初めて公園もお役に立ったが、公園設置の根本の意義はそんなものじゃなかったのであります。
 すなわち、日本においては中流以上の人はたいがい自分の家に庭があり、縁側があり、心地よく休息が出来るので[#「出来るので」は底本では「出来るで」]、無理にお隣りの娘さんをコーヒーで誘って公園に出かけなくってもすむのであります。

    鶏小屋だと思ったら人間の小屋だった

 また、ロンドンだのパリだのの郊外に行くと、五十坪か六十坪ぐらいの畑の真ん中に三畳敷ぐらいのバラックが何百何十と並んで居る。私は初め汽車の窓から眺めてずいぶん沢山な鶏小屋があるものだと驚いたが、皆な人間の小屋であることをあとで知りました。これも蜂の巣式の家に住って居る都人士のくつろぐ場所で、土曜から日曜にかけて遊びに行く小さな別荘なのでありました。
 日本には外国のような大建築もないが、またこんなチッポケな別荘もない。彼らはその郊外の小さな別荘に行って花を作るとか、作ってある苺を摘んで食べるとかして一日をたのしく遊ぶのであります。そういう家が幾千となくある。これらも窮屈で殺風景な部屋に住んでいる結果として、必然的にこんな流行が生じたの
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