が二円五十銭とか三円とかいうような値段で市場に売られて居る。私の店でもリプトンティーを販売して居りますが、仕入の際に、印度の原価は五十銭じゃないか、二円五十銭はあまり高すぎると云ったところで相手にされない。
 茶を作って居る印度人は裸足で歩いたり、粥をすするよりほかないのに、原料を五十銭で買って造った茶を三円で売る英国人は、自動車をとばして居る。
 こういう事情を見ても商権を奪われるということくらい、浅ましい無惨なことはないと感じました。

    而して我が国を観れば

 然らば自分の国は如何と顧ると、なるほど日本は印度ほどのことはありません。が、甚だ似たところがあります。日本の生命とも云うべき生糸が千円以下でなければ売れない。農家は繭を一貫三円か四円で売らなければならない現状でありますが、その繭を造るに五円五十銭もかかるのであります。それを三四円で売って居ては、養蚕する農家は年々借金が増すばかりであります。
 然らば生産費にも当らない生糸の値を誰がつけたかというと、結局日本の生糸を需要する米国人等に売権を握られて、相場を左右されて居るがためであります。
 かく生糸は安いのにかかわらず、私がロンドンの商店で試みに婦人用の長い純絹の靴下を買ってみましたところ、それは一足十四円でありましたが、目方をかけてみますと日本生糸の値としておよそ一円四十銭くらいのものでありました。すなわち一円四十銭の糸で造ったものが、十四円で売れる。つまりその原料は売価の僅か十分の一にすぎずして、九十パーセントの利益は、欧米の商工業者の手にはいる。然るに一円四十銭の糸を供給する日本人は、かえって五六十銭の損をして居るのです。
 これがもし日本の手に商権があって、外国からぜひ日本に「生糸を売ってくれ」と云って来れば、日本では「桑の原価が二円かかっているから、少しは利益を見て二円五十銭くらいで売ろう」というようになる。こうなると日本の生糸も、今日より二三億円高く売れることになって、外国貿易の平均がとれるようになります。
 しかるに現今のような状態では、印度の有様も、日本の有様も、単に大なり小なりだけの相違であるような気がします。
 これではたまらない。自分は今まで東京に居て商売を繁昌させればいいとのみ思って居ましたが、一度海外に出て見ると、内地で商売を繁昌させても駄目だ。何とかして、外国人と商業取
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