喧嘩をしないということは、お辞儀をしないことの帳消しにならんかね。」
「なるほど、そうですね。」
 と言ったことがある。仕事を一生懸命やっていてくれるので、お辞儀をしてくれなくても、少しも苦にはならない。

    商店経営についての一問一答

 ある人が来て中村屋の経営苦心談を聴かせてくれというので、一問一答をした。
「中村屋が今日になるまでは数十年という永い歳月をすごしたが、この間よくまたお店の主義をかえられずに来ましたね」
「どこよりも一番よいものをということが開業した時からの信条で、これを頑張り通されぬようだったら商売はしないという堅い決心でやって来ました。これが私の道楽でもあり、儲ける、儲けぬということよりも、なんでも日本一よいものを作って売るということで一生懸命だった。それが誇りでもあった。」
「然し品がよければ高く売らなければ引合わないし、高ければ売行きは悪い。そうすると、経営上の点で最初の理想通りに頑張り通すことは出来なくなって来る。ついに迷い出す。方針をかえたくないという、危い瀬戸際を何度も往復されましたでしょう」
「それは少し苦痛もあった。いくらよい品を作っても、そう急に認められるものではないし、相当永い間の辛抱を要する。だからたいがいの人が辛抱しきれなくなって最初の方針を破ってしまうのだが、そこで方針をかえるということは、結局今までの犠牲が虻蜂とらずに終るばかりでなく、かえって信用をおとす結果となる。だからよいと信じて着手したことはトコトンまでやって見なければいけない。いったい多くの人は成功をあせりすぎるようだが、一足飛びに成功しようとしたってそううまく行くものではない。」
「経営上の苦心談をきかして頂きたい」
「他よりも良い品を作るには、他よりも腕のすぐれた職人を入れなくてはならない。和菓子では風月堂に九年も職長をした菓子界でも相当知られていた男を職長に迎えて思う存分に腕を振わせた。材料の仕入などは私の所がどこよりもやかましいと仕入先からいわれたくらいだ。だから私の店でこしらえたものは他のどこのよりよいと信じている。ところが、ある時、ニューヨークで偶然にもうちの羊羹と虎屋の羊羹とが一所で味を比較されたことがあって、その批評によると、うちの方がよくないという情報が私の耳に入った。そこで私は早速職長を呼んで訳を話した。ところが職長はどうしてもそん
前へ 次へ
全165ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング