員があるので、三十人以上だと顔が分らなくなるし、三十人ずつでも、八回から九回あつめねばならないからである。それも昼間は出来ないので、どうしてもうまく行かない。
それで、何とか工夫しなければならないというので、店の喫茶室をあけて三つに分け、ちょうど十五六人ずつ三回にした。宅では弁松の弁当を取って食わしたが、今日は中村屋のカレーライスをやろうというので食べさせた。訊くと、店員の半分ぐらいは食べてないという。店《うち》の者がうちの食べものを知らないでは困るからというので食べさせたら、非常に喜んだけれども、もう九十人になると、宅へ来た時のように、いろいろ名乗るわけにもゆかないので、一利一害がある。
自分の所は、前に述べたおかみさんの話ではないけれども、よほど気をつけないと、主人と下に働くものが上下になり勝ちである。主人はお父さんというようにならなければならぬ。私の方からは、雇人ではない家の子である。子供が二百幾人あるという気持でなければ、うまく行かない。その気持を徹底させるために、いろいろと研究している。
食べ物などは、私の家より店員の方がよくなっている。うち[#「うち」に傍点]の伜は洋行してから食べ物が贅沢な方だが、店に行けば必ず店員と一緒の物を食べる。我慢するのでなく、うち[#「うち」に傍点]の女中が拵えた物より店の物の方がおいしいのである。私は店では滅多に食べないが、それでも時々は食べる。
それから誕生祝いなどあって、昨日入店した者でも、誕生日なら今日は誰さんの誕生日というので、幾らか違った御馳走をする。
初め百人ぐらいのうちはよかったが、人数がふえると今度は毎日になる、毎日では珍しくないので、そこで、今日と明日と並んだら、今日ふたり分やる。そうすると、三日に一度ぐらいになる。
また一人の時と、二人あるいは三人、四人一緒の誕生日の時は御馳走をかえる。例えば、一人の時にエビフライなら、二人の時は、それより上等の刺身にし、三人の時は果物を一つつけるとかいうことにし、三日に一度ぐらいずつ、今日は誰さんと誰さんの誕生日ということにした。
そんなことは何でもないことであるが、みんなが家《うち》では誕生日なんかしてもらったことがないのに、ここへやって来てやってもらえると喜んでいます。誕生祝いは何でもないが、自分というものが認識され、尊重されるという気持、私はそれでゆ
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