ームを生活の必需品としない国であるから、デンマークを真似て牧畜をのみ奨励するということは出来ない。もしデンマークを真似て牧畜を盛んにしたならば、たちまち製品の販路に窮し、かえって農家の経済を乱すことになると思う。それよりもむしろ東京という都会に接する近在の農村では、東京で消化し得る果物、蔬菜《そさい》、その他生魚等の生産をはかる方が有利であろうと思う。

    まずかったフランスのパン

 世界で美味なものは日本の米とフランスのパンということであるが、自分の店でつくっているフランスパンはフランスのパンの焼き方を真似たもので、本場のパリへ行ってフランスのパンを試食することは欧州へ行ったときのたのしみであり、場合によったら店の優秀な職人を実地見学のために留学させる下準備までしていた。
 しかるに巴里《パリ》一流ホテルのパンも、料理屋のパンも第一色が黒く、味も悪く、粗悪だったので、「有名な巴里のパンも中村屋のパンに劣ること数等だ」とうっかり同行の人々の前で口を辷らしたので、大勢の人々から「それ手前味噌が始まった」と笑われた。私は非常に残念に思ったが、中村屋のパンを取り寄せることは出来ないので、強く主張もせずに居たところ、一行中の須川氏という九大の教授一人だけ、東京で常に所々のパンを試食して居て「たしかに中村屋のパンや小石川関口のパンの方がうまい」と賛成された。
 そういうことのあった翌日、一同連れ立って有名なエスカルゴー料理という蝸牛の料理を食べに行ったとき、その店で出したパンは実に色も白く美味なものであったので、今まで食べていたパンが有名なフランスパンなるものでないことが分った。
 その後パンの粗悪なことについてフランス人に話したところ、
「パンの悪いことはもっともです。欧州大戦前までは巴里のパンは世界的に有名なものであったが、戦後政府は一般国民の生活を安易にするために、パンの価格を一定して、一キログラム(当時の日本価二十銭)二・二フランに限定したので、パン製造家は優良品を製造することが出来ず、従って粗悪なパンを造っているので、戦前のパンに比較するととても粗悪であるが、戦時中のパンよりは上等である」という説明であった。そこで中村屋のパンはフランスのパンより上等であり、上等なフランスパンにも決して劣らないとの確信を得た。

    和気あいあいが信条

 私はいつもいい
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