原料で作られた晒飴は、古来の餅米製の飴に比較して、約五割の安値で、かつ見た目にはかえって美しいところから、餅米製の水飴はほとんど市場から駆逐されてしまいました。
元来水飴が子供、産婦、病人等に愛好されたのは、餅米から製造されて滋養があったからであります。しかるに今日の晒飴は、害になる亜硫酸を含んで居るものも少なくないのであります。私の店では二十年ほど前から水飴の販売は中止して居りました。それは昔からの伝統で一流の菓子店では、水飴を売らないことをもって一種の誇りとしていたからであります。しかるに今日の如く、真に滋養豊富な餅米からの水飴が、東京市内においても容易に手に入れ難い状態をみましては、伝統などにこだわるべきでないと考えまして、この水飴を販売する事に致しました。その結果は売れ行きも意外によろしく、今日では一かどの商品となって居る訳であります。
これは私の経験の一つを申し上げたにすぎないのでありますが、学術の応用は御客に対しては親切となり、また店の繁栄の原因ともなるのでありますから、将来ともにこの方面の研究はますます必要になるものと信じて居ります。
商品普及性の研究
菓子店では昔は品物を竹の皮か経木に包んでお客に渡したものであります。当時のお客さんはだいたいにおいて近所近辺でありましたので、これでも充分間に合ったものでありますが、今日の如く汽車や飛行機で交通する世の中となっては、もはや竹の皮のお客ではなく、内地はもちろん、外国までがお客筋となった訳でありますから、そこにまた一つの工夫が必要となる訳であります。文明国だ、未開国だと申されますが、一面商品に対するこの工夫の有無によって区別されると申して差支えなかろうと思います。
先頃、私の所へ南米ペルー国から来客がありまして、同国産の桃の缶詰を土産にくれました。早速口を開けてみますと実に美事なもので、味もまた申し分なく、今日世界一の称ある北米産の桃に較べて、かえって立ち勝るくらいでありました。これを北米産に代えて利用したならば、甚だ面白かろうと内心楽しみにして、その次の桃を引き出してみて驚きました。色は悪く、形もまた貧弱で、最初の姿はどこにもありません。一缶中十箇十色という有様で、商品価値は全くゼロでありました。これに反して北米産は実によく均一されて居りまして、幾缶開けてみましてもほとんど優劣の差を認
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