名に上り、自分がその会長になった。これには内村鑑三先生や山室軍平氏なども応援演説に来会され、心から共鳴する青年が続々とあらわれて、中でも第一に殉教的熱情を示したものに井口喜源治氏があった。
井口君は中学校での同級生で、当時穂高小学校の首席訓導であったが、彼の信仰はついにその教え子に及び、荻原守衛その他の生徒が信者になった。最初冷静に見て居った校長もこれに驚き、生徒が学校に来て基督教になるようでは父兄に対して相済まぬというわけで、井口氏を他校に転任させようとした。そこで井口氏の辞職となり、我々友人は井口氏を他村に送るに忍びず、また学校の態度にも憤慨したので、村の有力者臼井喜代氏や長兄安兵衛その他の有志と力を合わせ、新たに井口氏を推して研成義塾を設け、町村とは全く独立した高等科の単級教授を開始したのである。時は明治三十一年の秋、私も井口氏も同じ二十九歳であった。
さて井口君はこの研成義塾を守って、去る昭和七年の十月病いを得て退くまで、じつに三十五年間全く一日の如く奮闘した。村の子供の多くは穂高小学校の尋常科を終るとそのままそこの高等科に残り、特に理解のある家の子弟だけが研成義塾に入っ
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