した。昔の一高の小使いなどというものは、出入り商人に対してこの通り威張ってコンミッションを取ったもので、今日から見ればまさに隔世の感がある。
 コンミッションの問題はほかにもあった。中村屋も最初のうちは卸売りをした。本郷から麹町隼町、青山六丁目辺りまで、毎日小僧が卸しにまわる。そのうち大手町の印刷局へ新たに納入することになったので、その届け役を私が引き受けた。雨の日雪の朝、一日も欠かさず、本郷から神田を通って丸の内まで、前垂掛けで大きな箱車を曳いて、毎朝九時には印刷局の門をくぐった。
 それが約一年ほどつづいたが、もうその頃かつての早稲田の学友の中には、官吏の肩書を聳《そび》やかしているものもあり、その他の知人間でも私のことはだいぶ問題になって『奴も物好きな奴さ』と嘲笑して終るのもあれば、『何だ貴様は小僧のようなことをして、我々卒業生の面汚しじゃないか』などと、途中出会って面詰するのもある。むろん私としては、別にきまりがわるいとも辛いとも思うことではなく、むしろ友人には解らぬ快味があったのである。
 とにかくそうして私は印刷局通いをしたが、その最初の日のことであった。『オイオイ、出門の
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