めてある。早稲田大学の運動会に売店を出して全員総出をしたから、店の方は一日休業だということであった。私はその時、この店は必ず破滅するなと直感したが、果たして間もなく閉店してしまった。
 運動会の一日の売上げが平日の幾倍に当り、どれほどの儲けがあるか知らぬが、そのために一日店を閉め切り、当てにしてわざわざ出向いて来て下さる常得意のお客に無駄足をさせる。こんな仕方をすれば多年どれほど売り込んだ老舗であっても、得意の同情を失って破滅に至るは当然である。
 この粟餅屋のような極端な例は別としても、大量の臨時註文というものを持って来られるとなかなか思い切れないものらしく、無理をして引き受けて失敗した例は世間にいくらもある。
 私の方でも店が繁昌し、製品が少し評判になって来ると、学校その他から四時折々の催しにつけて売店の勧誘を受けるようなり、中には前々からの関係で断りにくい場合もあったが、私は店にそれだけの余力がないことを話してお断りし、その他の臨時の註文も店の製造能力から考えて、無理と思われるものは辞退し、いつも地道に店頭のお得意第一と心がけて来た。店も多い中に特に自分のところへ御註文下さるとあっては、たとえ無理をしてもお受けせねばならぬと思うのが人情であり、またせいぜい勉強して先様のお間に合わすということも平常の同情に報ずる道であって、それを思えばつい店員を励まして非常時的努力を試みたくもなるのである。だが人間はそんなに無理の利くものではない。註文の時間に後れるとか間に合わせの品が出来るとかして、とかく不成績に終り、その上店売の製品には手がまわらなくて、せっかく出向いて来て下さったお客様に、あれもございませんこれも出来ませんでしたという不始末になる。人の能力に限りのあることを思えば、かような結果はただちに予想されるのであって、したがって無理は出来ないということになるのである。
 私のところの経験によると、人は緊張すれば一時的には、平常の働きの五割増くらいまでの仕事をすることが出来るが、それ以上を望めば必ず失態を生じ、またその時は何とかなっても、後になって疲労が出て著しく能率を減ずる結果になったりする。もっとも世間には五割増どころか、いざとなれば平日の二倍も三倍もの仕事を無事に仕上げることが出来るという者がある。しかしその人が緊張時において本当に平日の二、三倍の仕事が出来たと
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