員たちもこの機会に自然に会得するよう心がけ、春秋の遠足、夏期の鎌倉における海水浴なども、不充分ながら心がけているところである。
なお遠く旅行して見聞をひろめ、地方地方の特産または商業の様子などを見ることは大いに必要で、我々も差支えのない限り春秋には旅行を試みることにしているので、諸君にも行ける限りは行かせたいと思い、遠くへの旅行は毎年春秋二回、古参者から順々に同行二人を一組として、十日の休暇と旅費を給し、九州あるいは北海道と、それぞれ好みの所に年々かわるがわる旅行をさせている次第である。
次に私および一族中の者の俸給が、店員の幹部級の者より薄給であるべしとの趣意は、改めて説明するまでもなく、前にも言った通り、いわゆる重役連の労せずして高級を食《は》む不合理を憎むからである。
かく説き来れば中村屋の給与は相当|宜《よろ》しいように見えるが、これでも製造部では製品売価の一割に足らず、販売部は売上げのおよそ六分七厘にしか当らない。これを米国百貨店の販売高の一割六分、独逸百貨店の同じく一割三分五厘に比すれば、その半額にも足らぬのである。私は店員への給与を世界の水準まで引き上ぐべきであると考える。重役だけが生活を向上して労務者の生活を改善し得ないならば、我々実業家の恥と言わねばなるまい。
実世間を対手《あいて》とする商業道場
愛児を中村屋に託さるる親たち、また当の少年店員諸君に対してはいうまでもなく、我々は深く責任を感じ、いかにしてその信頼に酬ゆべきかと常に種々苦心するところである。
昔は商家に奉公し、忠実に勤めて年期を明け、その後二、三年の礼奉公すれば、主人から店ののれん[#「のれん」に傍点]を分けてもらい、しかるべき場所において一店の主となることが出来たものである。それゆえ年期中は給与もなく、粗衣粗食、朝は早く起き夜は遅く寝て、いわゆる奉公人の分に甘んじ、じつにいじらしい勤め振りをしたものであった。
主人もまた、子飼いの者が実直に勤めて年頃になれば、店の勢力範囲以外の地を見立ててそこに支店を出してやることは、本店の信用を高むることにもなるのであったから、主人もよくこの面倒を見てくれたものであった。むろんその時分は世間の様子が今と全く異っていた。町に交通機関はなく、ちょっとした用事にもいちいち使いを出すほかないのであったから、得意の範囲は自ずから定ま
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