、自ら使用人の先に立って働くという。その他大学の総長さんなどでも、自ら第一線に立っていっさいの用事を仲介なしで裁決するということである。
これに反し日本の会社の重役なるものの中には、その資本力に任せて有利の事業と見れば八方に手を出し、一つの体で多くの会社の重役を兼ね、実際の働きにこれというものもなく、高級の自動車をあれからこれにと乗りまわして巨額の報酬を得ているものが多いのである。しかも使用人の俸給は著しく安いので彼らは内心不満なきを得ず、したがって責任を感ずることも薄く、仕事に対する態度も弛緩して人一人の持つ能力が発揮されていない。加うるに俸給が少ないため内職等に精力を消耗するので、これらが原因となって三倍もの人数を必要とすることになるのである。
我が中村屋は一人一業の主義に基づき、全員緊張して仕事に当り、不平不満なく業を楽しむの域に近づいた結果、その能率いささか誇るに足るものがある。従来の菓子職人、特に日本菓子の人々は徳川時代よりの一種の悪習慣に禍いされて、半ば遊び半ば働くというふうであるから、彼ら一人の製造能率は一日十五円内外、二十円に達することは稀れであるが、我が中村屋の職人は一人一日平均五十円に達し、歳末や四月の花見時の如き繁忙の際には七十五円にも及ぶことがある。また我が喫茶部の成績も一ヶ年を通じて一人当り一日二十一円と記録され、丸の内のある有名なレストランの一日の売上げ八百五十円を百二十人で働いているのに対比し、ちょうど三倍となっている。私はこの体験よりして我々日本人の能率は米国人のそれに劣るものでないことを自信し、甚だ愉快に感ずる。
少年店員の採用とその待遇法
中村屋は毎年三月に少年店員を募集し、高等小学を卒業する少年を、直接親たちの手から引き受ける方針を取って来ている。むろん高等の教育を受けた青年の入店希望者もすこぶる多く、中等学校卒業者はもとより大学の商科その他の学府を出た人々もあり、ことにそれら高等教育を受けた人々の入店希望にはそれぞれ事情があって、特に頼み込まれる場合が多いのであるが、これまでの経験によると、だいたいとして長く学校生活をした人は店務には適せぬものが多い。もともとそれらの人々は官吏か大会社の社員になることを志望し、必死の努力で受験難を突破して学校に入り、ようやく卒業してみると意外の就職難でやむを得ず方針を変え、あ
前へ
次へ
全118ページ中70ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング