左褄とりしものなりとか。芸よりは容貌《かほ》で売れ容貌よりは男たらしの上手にていつも見番に千寿の花の咲かせしものなりしに、年頃物堅かりし金三の、四十二の厄年に祟られてや、七八年前よりはからずお艶に迷ひ出し、女はこれととどめをさされて、家を外なる駄々落遊びを、おとなしきお秋は気にして、それ程御意に入りしものなれば、お落籍《ひか》せあそばした方がと、家の為夫の為に勧めし詞を渡りに舟と、年にも恥ぢず受け込みて、島の内あたりに妾宅搆へさせ、それにてやつと尻落着きたるものの、落着かぬは妾のお艶にて、彼はその前より俳優の丸三郎といへる情夫があり。それへ金のつぎ込みたさに、お客とりとの評判取りしほどの事、いかで心から金三に身を任すべき。落籍されての後も、危き首尾に丸三郎との逢瀬絶えざりしが、金三の顔次第に広く、身の忙《せは》しくなるにつけ、妾宅通ひも心に任せねば、本宅へとの命黙し難く、引取られては来しものの、あれのこれのと苦情を付けて、奥様との同居心苦しければ、年に一二度は気保養の為、湯治にも遣つて戴きたし、次にはまた奥様より世間並の召使ひ待遇《あしらひ》これも前以てお断り申上げたしなど、有らむ限りの我儘述べ立てたるは、本宅へ這入らじとのたくみなりしに、お艶にぞつこんはまり込みたる金三のかかる事聞きても打腹立たず。可愛き子供にあまへられてでもをるかのやうに、あれもよし、これもよしとうなづきて、さすが商業界の利者《ききもの》とも云はるる身が、みんごとお艶に降伏したるは、遼東還附の一条よりもなほかついひ甲斐なき事なりしとのこの条《くだり》は年久しく仕ふる藤助といふ老僕が、まばらなる歯を喰ひしばりての述懐たり。赤ら顔のお三がその後を継きて、そこでサアお気の毒なはお心よしの奥様、旦那様より仰せ渡しでもあつたものか、妾風情のお艶に御遠慮なされて、いっさい旦那様のお傍へはお寄りなされず。旦那の御用は何もかもお艶でなければ埓明かぬと、覚悟をお定《き》めなされてか、一にも二にもお艶どのお艶どのとお頼みなされ、御自分は御隠居気取りの引込思案これ程歯痒き事はなし。もしこれが我が身ならばお艶を出すか、自分が出るか、二ツ一ツのはなしをつけても、奥様には金之介様といふお子もある中、なんのなんの御親類方がだまつて見てゐらるる事でなし。とはいへ奥様いとしといふ素振仮りにも色に顕はれては、一日|片※[#「日+向
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