『どうして。何しろまあ来てみるがいい』
話しながら行く程に、二人の足はいつしか学習院の前を過ぎ、四ツ谷見附にさしかかるに。老幹拮掘たるお濠端の松が枝、曙光を受けて青緑掬すべく、さながら我を歓迎するかの趣あるにぞ。大村はここに濛々の境を脱し、微かながらも快哉を叫ぶを、小田はおもむろに顧みて。
『どうだ君、四ツ谷見附がさしづめ下※[#「丕+おおざと」、第3水準1−92−64]《カヒ》の※[#「土へん+已」、161−4]橋《イキヨウ》だ。そして今時の黄石公は不性だから、居宅へ張良が逢ひに行くとはどうだ。ハハハハ』
その八
世に奥様なき家ほど、不取締なるものはあるまじ。一廉のお邸の、障子は破れ、敷台には十文以上の足の跡、縦横無尽に砂もて画《えが》かれ、履《くつ》脱ぎには歯磨きの、唾も源平入り乱れ、かかる住居も国野てふ、その名に怖ぢて、誰批難するものはなく。かへつてこれを先生が、清貧の標幟《はたじるし》と渇仰するも、人、その人にあればにや。一郎は小田が導きにて、詞を費すまでもなく、父が名にも不憫加はりて、門下に在るを許されしかど。始めは例の半信半疑、心ならぬ日を送る内にも、なるほ
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