の許に居るんだ』
『う、国野ツて、国野為也か。あれは黄石公とはゆくまいか』
『君何をいつてるんだ。国野だよ、知つとるだらう、開明党の』
『知つとるさ。だから聞くんだ』
『聞くまでもないじやないか。本職の代言も甘《うま》いが、それは流行らないから、利器の持腐りだ。だが政治家としての大名は、子供でも知つとるじやないか』
『さうさ、だから確かめたいんだ、どういふ人物かを』
『うむさうか、それなら分つとる。そりやあ非常な人傑さね。世間では破壊党と誤解されとるが、どうして僕等に対しては、まるで君子だ、驚くべき謙徳家だ。実に書生を愛するよ。だから誰でも身命を擲《なげう》つてもよい気になるんだ。既にこの僕の仕着せなんぞも』
と小田はわざわざ袖口を引張つて見せ。
『先生がこないだ時計を質に遣つて買つてくれたんだ。十人の書生に一様《つい》の仕着せさ。ゑらいじやないか、それで自分は甘んじて、鎖ばかり下げて歩行てるんだ。どうだ猪飼なんぞに、真似も出来やあしまい。僕なんぞも、今まであすこに居たら、やつぱり妻君の小言ばかり喰つとるのさ。君も相変らずかね』
『いや変つた』
『どう変つた。少しはよくなつたか』
『なあに、出ツちまつたんだ』
『そりやあゑらい。そしてどこに居る』
『どこにも居ない』
『どこにもツて君、寐起きする処が、あらうじやないか』
『ない』
『ふざけたまふな、喰仆しに行きあしないよ』
『そ、さういふ事をいふからいかん。僕がそんな卑劣な男かい。じやあいはう、昨霄《ゆうべ》は練兵場で寝たんだ』
『むむ、さうか、それで分つた。だから僕が草の中から、這出したといつたに、ギツクリしたんだな』
『うむ』
『ハハハハこれは大笑ひ、実に一奇談だ。それでやうやく安心した。実はね君があんまり、とんちんかんな挨拶ばかりするもんだから、僕は少々心配してたんだが、それならばいい、もう大丈夫だ。そして君これから行く処があるのかい』
『いやそれはまだ極まらんのだ』
『さうかひ。それじやあやつぱり、僕と一所に、先生の許へ来ないか、神田だ。僕も実のところ昨日青山の親族《しんるい》までいつて、昨霄帰る筈なのが遅くなつたんだから、そこをごまくわすに都合がいいんだ。いやこれは僕の内情だ。それよりか君、おそらく先生のやうな人は、外にあるまいよ。君が居る気なら一ツ頼んでやらう』
『どうだかなあ、君買被つとるんじやないか』
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