と思ふのは、大いなる浅見ではないか。故に予はむしろこの小さき、否愚かしき、真個憫むべき人間を捉へて、罪人といふのに忍びぬのである。』
と、さすがに職業柄だけに、市ヶ谷監獄署面会人控所にて、大気焔を吐きたまふは、この頃某県より東京へ転貫の、猪飼弁三《イカイベンゾウ》といふ弁護士殿なり。地方は知らず、東京では、あまり新しき御議論でもなけれど、場所が面会人控所だけに、打集へる人々、いづれも多少監獄内に縁故ある身とて、そぞろ同情の想ひに動かされ、それ位の事と思ふ人も、実《げ》にもつともと頭を垂るるほどの仕儀、ましてぽつと[#「ぽつと」に傍点]出の田舎親爺、伜の不所存ゆゑ、こんなおつか[#「おつか」に傍点]ない処へ来ねばなんねえと、正直を看板の赤毛布《あかげつと》に包まれたる連中などは、いづれもあつ[#「あつ」に傍点]と感じ入り、今更のやうに弁護士殿のお顔打仰ぎ、一躰何ていえお人だんべいと連れの男に囁く、ここ大当りの光景に、猪飼先生いよいよ反身になりたまひ、傍《かたえ》に苦笑する二三の人あるにも心注かず。かつて覚えの政談演説に、国許でやんや[#「やんや」に傍点]といはせたる時の事など、咄嗟の間に憶ひ出て、おほん[#「おほん」に傍点]と一声|衆囂《しゆうご》を制し、
『しかるをいはんやここは面会人控所ではないか。檻内の者はとにかく、面会を乞ふものその者に、果たして何の罪がある。これ実に世のいはゆる晴天白日の人、即ち天下公衆の一人ではないか。それも罪三族を夷《ゐ》すといふ、蒙昧な時代ならばいざ知らず、この昭代でありながら、面会人までも罪人同様に、かくの如く薄汚なく、かくの如く疎雑なる、はたまたかくの如く不待遇《ぶあしらひ》極まる建築所に、控えさせておくといふは、これあに昭代の微瑕ではないか。殊にその中には予輩の如き、名誉職の職務上来りをるものあるをや』
と、はつきり[#「はつきり」に傍点]といひ切りたきところを、さすが結尾の一節だけは、舌鋒を鈍らし、むにや[#「むにや」に傍点]むにやとお口の内に噛み殺したまひしは、天晴れお見上げ申したる御仁躰なり。
されどかく、しばしば感歎を促されては、さうは問屋がと余談に移るものあるを、弁護士殿は苦々しげに見てゐたまひしが、ふと傍に控えたる少年の、これこそはさもさも同情の想ひ、眉宇に溢れたるを、うい[#「うい」に傍点]奴と発見したまひ。
『君
前へ
次へ
全25ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
清水 紫琴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング