なれば、お糸は我知らず繰返して眺め居たるを、先刻より恐ろしき眼にてじろじろと見ゐたる庄太郎だしぬけに、
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 お糸それはどこからの手紙じや。
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 きのふ逢ひました人の妹よりといはむは、いとも易き事ながら、前夜より口を利かざりし人の、すさましく問ふ気色さへあるに、ふと今日の不機嫌もその人の事にはあらぬかと心付きては、何となく隠したる方安全らしく思はれもして、
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 ヘイ友達の処からの手紙でござりまする。
 フム昨日の人の妹か。
 いいえ。
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 つがひたる一矢は、はや先方の胸を刺したり、かかる事に注意深き庄太郎の、いかでかは昨日夏と聞きし名の、その封筒に記されたるを見|遁《のが》すべき。
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 フムそれに違ひないか。
 ヘイほんまでござります。
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 勢ひ確答を与へざるを得ずなりしお糸、庄太郎はクワツと怒りて立上り、
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 おのれ夫に隠し立するなツ。
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 いふより早し肩先てうと蹴倒し、詫ぶる詞は耳にもかけず、力に任せて打擲《ちやうちやく》しつ、
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 お前のやうな不貞なものは、ちよつとも家に置く事は出来ぬ。たつた今出て行けツ。
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 血相も変はりて、逆上したるらしき庄太郎、これもこなたの常なれど、不貞の名を負はされては、お糸も僻《くせ》と知りつつだまつてゐられず。一生懸命にて夫の拳の下を潜りながら、
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 ど、どうぞその手紙を見ておくれやす。け、決して悪いつもりで隠したのではござりませぬ。あんまりあんたの、お疑ひが怖さに……
 ナ何というた、おれが疑深ひ――おのれツ人にあくたい吐《つ》きおるな。
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 怒りはますます急になり、今は太き火箸を手にしての乱打。
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 サア出て行かぬか、何出る事は出来ぬ、出ぬとて出さずに置くものか。
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 勢ひすさまじく飛びかかり、十畳の間をかなたこなたへ追ひ廻す騒ぎも、広き家とて、始めは台所のものも気付かざりしが、あまりの物音にやうやく駈け来りたる下女三人、
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 マ……旦那さんお待ちやす、お糸さん早うお断りおいひやす、どうぞ
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