なりて借り受けたまひつ。いづれに我を嫁入らすべき方様に、入らぬものいりかけるでもないと。あるほどのもの我が家より運ばせたまひて、何不自由なきまでに整へ、いざとばかりそが方へ引移らせましぬ。
かくてぞ母様はいとど我の輿入れ急ぎたまへど、方様はいつも同じやうなる事のみいひて肯《うけが》ひたまはず。されど月日経る内には方様も男世帯の不自由に堪えかねたまひてや。さらば表向きは手伝へといふ名に、内祝言のみはといひ出でたまふを。母様も快からずは思ひたまひながら、いずれにも方様のお身を大事と、思したまふお心より、さらば世間晴れての披露はいついつと、くれぐれもお詞|番《つが》へたまひて。方様の御信友中川様といふを媒妁代はり、形ばかりの式済ませたる上、多くは我をそが方に在らせたまひぬ。
かくて一月二月を経るほどに、我もいつしか方様をあなたと呼ぶやうになれば、かなたにてもお幸さんといひたまふお詞の廉《かど》とれて人も羨む睦じき中となりしに。方様は我のみか、母様をもまことの母君のやうに大事がりたまひ。珍らしきものある時はこなたより持たせもし、迎へもしたまひて、うらなくもてなしたまふにぞ。母様も我ももの足らぬ心地はしながら、これに心も落ちつきて、夢の間に半歳ほどを過ぎぬ。
されど美麗《うつく》しき花の梢にも、尖針《とげ》ある世の人心恐ろしや。我廿一の春はここに楽しくくれて、皆人は花の別れを惜しむ間も。我が身にのみは春の添ひぬる心地して、嬉しさは、しげる青葉の色にも出で、快さを袂《たもと》かるき夏衣にも覚えて。方様の大事がらせたまふ鉢植の世話する外、何思ふ事とてなかりしに、ある日方様会社より帰らせたまひてのお顔色常ならず。いつもは何より先に薔薇の蕾など数へたまふ間に、我は用意の夕膳端近う据ゆるを四寸は我に譲りて快く箸とり上げたまふが例《つね》なるに。その日のみはさる事もなくて、さも思ひ入らせたまへる気色容易ならねば。何事のお心に染までかと、我は心も心ならねば、しばしば問ひまつりしに。何として何として、これはそなたに聞かすべき事でなし。我が心一ツの煩《わづらい》のみ、迷ひのみ。ああさてもさても世はなさけなきものなるかな、恋愛と功名、これはいかにしても両立し難きものにこそ。よしさもあらばあれ我が心は既に定まりぬ、我は生涯執金吾とはなり得ぬまでも、八幡この陰麗華には離れじと。急に我が手をとり
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