お名を誇らばやなど、心構へし折も折。月かくす雲花散らす風は、世に免れぬ例かや、浅木様の母御俄に御国もとにて、身まかりたまひしとの訃音《しらせ》に、一度は帰りたまはではかなはぬ事となりにしぞ。娘心のあとやさき、飽かぬ別れを惜しむ間も、ないてばつかりゐる事かと母様の、甲斐甲斐しく我を促し立ちたまひて。じみ[#「じみ」に傍点]なる着ものを俄の詮索、見苦しからず調《ととの》へていざとばかりその夕ぐれに浅木様を、出立《たた》せましたまひたる後は。母子交はる交はるそなたの空をながめ暮せしに、三日おきて浅木様の方より、母様宛に、いと重やかなるお手紙来りぬ。
 我は母様読みたまふ内ももどかしく、いかなる事をかとそぞろに心悩ませしに。やがて母様はホと大息《といき》吐かせたまひて、力なき御手にそと我が前へ投げやりたまふにぞ。我はいとど胸騒立てど、これもその人のと思へば、何とやらむ面はゆく口の内に読みもてゆくに。あはれなる事に書き続けたまひたる末、かくも母が年頃の瘠我慢、我に後顧《うしろみ》の患《うれ》ひあらせじとて、さまざまなる融通にその場を凌ぎたまひし結果。思はぬ方に借財のありて、我はゆくりなくも今やその虜とはなりぬ。さればこの囲《かこゐ》を衝きて急に再び出京せむは、いともいとも覚束なき事にて、あるはこのまま田舎の土となり果てむも知るべからず。さてはかねての青雲の望みも空しくならむのみかは。大恩うけしそもじ母子の、知遇に酬ひむよしもなきは、いともいとも残念の至りにはあれど。今の身には少しの金融をも許さねば、いかんとも致し方なし。ついては幸殿も年頃の身なるに、このいひ甲斐なき我がことのみ待ちたまはむには。花顔零落空しく地に委するの不幸を招きたまはむやも知るべからず。されば、他に良縁あり次第、我に遠慮なく身を寄せしめたまへ。我も幸ひに風雲際会の時機を得ば、再び出京せむも知るべからざれど、今はこれも空しき望みとあきらむるの外なしなど。筆の雫も薄にじむ涙は男泣きにかと、我ははやその後を読むに堪へず。もしも少しのお金にて済む事ならば、我が身のかざり髪の道具も何ならむ。残らず売代《うりしろ》してなりとも、方様のお身を自由にさせまし、我も恋しきお顔見たけれど。明けてそれとはいは橋の、夜の契りもせぬ人に、あんまり出過ぎた出来過ぎだと、母様のおぼしたまはんほどのうしろめたさに。さすがさうとはゆふまぐれ
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