た浅木さんが早起きしてツ、ついぞ祝儀の一ツも呉れた事はないにと小言《つぶや》くが例なるに。夜は二時頃までも寐たまはず、土曜日曜大祭日の宵とても、矢場よ寄席よと浮かるる人々の中に、我のみ部屋に閉ぢ籠りたまひての御勉強。実にも行末の望みある方様やと、いとど心を動かせしに。母様も同じ御心にや、わけてこの人いとしがらせたまひつ、時雨しぐるる神無月、この夜の長きに定めてお気も尽きやうと、ある夜お茶を入れて、自ら持ち行きたまひたるが、やがて我との縁のはしにて。その時母様の計らず方様より、聞き取りたまひし御身の上ばなしに、母様ホと太息吐きたまひて。さても世に珍らしの方様やと、我は月頃思ひつるに、それも理《ことわり》や方様の父御は、世を夙《はや》ふしたまひて、今は母御のお手一ツに、方様の仕送りなさるるなりとか、されば学資の来る時もあり来ぬ時もあり、いつまで続くものともしれねば、それゆえの御勉強とは、さても殊勝なるお心掛けや。身につまされて方様の、母御の御苦労が思ひ遣らるる。かうして下宿や渡世はするものの、人様のお金とるばかりが身の能ではなし。あんなお方を助けてこそと、その夜しみじみ我への仰せ。さては母様のお鑒識《めがね》もと、我はいよいよその人慕わしふなりて。軒端に騒ぐ木枯らしの風にも、方様のお風邪召さずやと、その夜は幾度か寝醒めせしもをかし。
 それよりは母様方様の、下宿料滞らせたまふ事ありても。こなたよりいひ出でたまはぬのみか、たまたま方様のこれをと渡したまふ事あるも。私方では大勢のお客様、お一人口位は別に眼にも立ちませぬ。それよりは御入用なる書物でも、お心遣ひなくお求めなされてはと。一方ならずいたはりたまふお志、方様も嬉しとや。果ては母様を叔母様のやうにも思ふなど、重きお口にいひ出でたまふやうになりしを。母様は本意なる事に思していつしか我が聟がねにとのお心も出でけらし。折に触れては、我へそのあらまし事ほのめかしたまひ。成らふ事なら浅木様のやうなお方に、そなたの行末頼みましたし。下宿や風情の我が家の聟にとてはなりたまふまじきも。我はそなたの仕合はせとあらば、手離して上げまするも苦しからじなど、独言《ひとりご》ちたまふを聞く我は、頓《には》かに心強うなりて。方様の何と仰せらるるかは知らねど、もしさる事ともならば我が為に、年頃一方ならぬ御苦労したまひし母様の、お力ともなりたまふべけ
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