はさうでもあらうが、来たからは詮方がない。今日一日を打解けて、逢ふたからとて、このおれが、娘が男の名をいはずば。お前の娘と近所へ知れても、どこの何といふ素人に拾はれたとも知れずに済む。麁相《そそう》をした上、口賢ういふではないが、よ太一。天照大神八幡宮、春日明神三社を掛けて、誓ひを立てる。嬶はおろか、死ぬまでも、口から外へ出しはせぬ。安心して逢ふてやれ。なお清坊、そじやないか。お前はとんと知るまいが、おれは嘉平といふ太鼓屋、今年四十歳を出過ぎもの。お手のものだけ廿歳の頃、でんでん太鼓でお前が誕生、祝ふてやつた事もある。その時の稚な顔、これ程の女子になるとは夢じやてな。今の身分がどうであれ、我かおれかがこの村の、通り詞じや。はははは失礼のはつれいのと、詞咎めをせまいぞと。囁く際も内外に、心を配るは立聞きを、おのれに懲りて見張番。嘉平が立つ居つするを。じろりと太一は見る眼の憂さ。坐れ嘉平、今更それが何になる、とぼけた真似をするないやい。戸障子を塞いだら、世間の口が塞げるか。馬鹿めこれがどうなるぞと。怒りの声も、身の疲れ、枕抱えて吐く息の、深くも心痛むるを。お辛度からう、撫でさせてと、怖々さしよる清子が身は、心ならずも、撫でさする、父に劣らぬ憂き思ひ、さてはさうした身分かや。今までさへに里方を、謡はれしもの、この後が、思ひやられて浅ましや。よしこの上は重ねても、良人の家へは帰るまじ。身は新平のそれもよし、貴夫人と囃されて、親に事《つか》えぬそれよりは、新平とても人の子の、道は一ツを立ててこそ、人と生まれし甲斐はあれ。同じ人の子、平民を、など新旧には分ちしぞ。差別なしとは表向き、世の習はしは、新といふ、文字のすべてに喜ばるる、それに引換え、平民の上に冠《かぶ》りし新の字は、あらゆる罪と汚れをば、含めるもの、世の人に誤らるるも理や。昨日までも今日までも、良人《つま》に連添ふ我が身とて、平民主義を上もなき、真理と採りしこの身さへ、身を新平と聞き知りては。道理の外の新しき、汚れに染みし心地もする、我さへにさるものを。まして浮き世の位山、尊きを望む人心、卑《ひく》きはよしや衣と食を、姦淫に仰げばとて、新平ならぬを栄とする、世の人口《ひとびと》に何として、穢多ばかりかは、人口の心の汚れ、それこそは、実に穢多なりと質《ただ》さるべき。よしそれとても、今日よりは、ここを我が身の死に処。心
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