みのまま、銀につきつけて、それでもつて撲《ぶ》ち殺してある、鉋《かんな》や鑿《のみ》や鋸や、または手斧《ておの》や曲尺《まがりかね》や凖《すみ》縄や、すべての職業道具《しようばいどうぐ》受け出して、明日からでも立派に仕事場へ出て、一人の母にも安心させ、また自分の力にもなつてくれるやうにと、縋《すが》りつくやうにして泣き且つ頼んだ。そして
「ねえ、お願いだから」
とこれが最後のことばであつた。
けれども、性来|執拗《ごうじよう》な銀は、折角の好意《こころ》も水の泡にしてしまつて、きつぱりその親切を、はねつけた。小気味よく承知しなかつた。渠《かれ》のいふ所によると、これでも舊《もと》は「大政《たいまさ》」ともいはれた名たたる棟梁の悴《せがれ》である。よし、母子二人|倒死《のたれじに》するまでも、腹の中をからにして往生するにもしろ、以前、我が家の昌《さか》つた頃、台所から這ひずつて来て、親父の指の先に転がされて働いた奴等の下職人《した》とはなつて、溝板|修覆《なお》しや、床などの張換へして鉋を磨いて痩腹《やせばら》膨らかすやうな、意気地の無い、卑劣《しみつたれ》な真似は、銀が眼の玉の黒いうちは、なんとしてやれぬといつた、いやだといつた。侮蔑《みくび》つて貰ふまいともいへば、心外だともいつた。つまり銀はあくまでも女の請《ねが》ひをはねつけたのであつた。
「お前がそういつて剛情を張つておいでのところを見ると、何《ど》うしてもあたしが彼家《あすこ》へ嫁入《いつ》たのを根にもつて、あたしを呵責《いた》めて泣かして、笑つてくれやうと思つておいでなのにちがひない。そりやあんまり酷《むご》いといふものじやないの、え、銀さん」
と女は途方に暮れて泣くばかりであつた。で、僻《ひが》むだやうな愚痴も並べ出して、
「そんなに慍《おこ》つてばかりいないで、あたしのいふ事もちつたァ聞いておくれな。あたしが彼家《あすこ》へ行つた当座、お前がだんだんいけなくおなりだという噂が、ちらりあたしの耳へ這入つた時、あたしァ、……あたしァまあどんなにかつらかつたらう。いつそ、彼家を出てしまはうかと思つた事も、そりや五度や三度じやなかつたね。あたしだつて人間だもの、まさかお前の心の悟《よ》めていないでもなかつたけれど、そこにア、それ……、かういつちや勿体《もつたい》ないけどまつたくさ。阿父《おとつ》さんてえ人が居なすつて、どうにもあたしの心のままにァならなかつたの、そのうち阿父さんは死んでおしまひだし……」
「な、なに?」と銀は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、「親父が亡くなつたえ。え、何時」
「一昨年《おととし》の夏さ」といつて、女は面《かほ》をそむけて、啜り上げた。「それからというものは帰らうにも実家はなしさ、心の中じや力に思つていたお前までが、どこへか引越しておしまひだし、……あたしはほんのひとりぼつちになつてしまつたの。だからさ、何もみんな無い往昔《むかし》とあきらめてしまつてさ。ねえ、銀さん。両人《ふたり》していたちこつこ[#「いたちこつこ」に傍点]して遊すんだ時分のあたしだと思つて、これだけあたしのいふ事を承《き》いておくれな、一生のお願ひだわ」
石のやうに固くなつて聞いていた銀は、やおら、面をあげて勢い好く、「よしッ! 解つた」
「あの、承いておくれか」
「む、む!、永い事ァ厄介かけたねえ、なんの一年ばかし面倒見といてくんねえ。銀も男だ、今更|他人《ひと》の下職人《した》は働かねえが、ちつとばかし目論見があるんだ。そのうち訪ねて行つた時の姿を見てくんねえ。きつとだ。男になつて行かア!」
「好くまァそういつておくれだ。そいであたしア……」としばらく口も利き得なかつた女の眼の内には、喜悦と満足と而して感謝の意の相混じて見られた。(『万朝報』一八九九年八月)
底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「万朝報」
1899(明治32)年8月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
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