が居なすつて、どうにもあたしの心のままにァならなかつたの、そのうち阿父さんは死んでおしまひだし……」
「な、なに?」と銀は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、「親父が亡くなつたえ。え、何時」
「一昨年《おととし》の夏さ」といつて、女は面《かほ》をそむけて、啜り上げた。「それからというものは帰らうにも実家はなしさ、心の中じや力に思つていたお前までが、どこへか引越しておしまひだし、……あたしはほんのひとりぼつちになつてしまつたの。だからさ、何もみんな無い往昔《むかし》とあきらめてしまつてさ。ねえ、銀さん。両人《ふたり》していたちこつこ[#「いたちこつこ」に傍点]して遊すんだ時分のあたしだと思つて、これだけあたしのいふ事を承《き》いておくれな、一生のお願ひだわ」
石のやうに固くなつて聞いていた銀は、やおら、面をあげて勢い好く、「よしッ! 解つた」
「あの、承いておくれか」
「む、む!、永い事ァ厄介かけたねえ、なんの一年ばかし面倒見といてくんねえ。銀も男だ、今更|他人《ひと》の下職人《した》は働かねえが、ちつとばかし目論見があるんだ。そのうち訪ねて行つた時の姿を見てくんねえ。きつとだ。男になつて行かア!」
「好くまァそういつておくれだ。そいであたしア……」としばらく口も利き得なかつた女の眼の内には、喜悦と満足と而して感謝の意の相混じて見られた。(『万朝報』一八九九年八月)
底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「万朝報」
1899(明治32)年8月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
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