も根性もだツ、立派に腐つた……。しびれきつてしまつたてえ事ッ。碌でなしだからな」
 空を仰いで虹のやうな息を吐く。
「しようがないね」と、のみ、女はさらに愁然《しゆうねん》として、「お前さんは、そんなにおこつておいでだし、あたしアやる瀬がありやしない」
と、いつか、両袖で顔を隠してしまつた。あはれその心の底は、いかに激しく悶えるのであらう。肩頭《かたさき》よりかすかに顫《ふる》へた。

 しばらく経つてから、「お前そういつておいでだけども、ねえ、銀さん、何も時と時節だわね。そう一|酷《こく》にさ、いや忌々しいの、腹が立つのといつていたんじや、一日だつて世の中に生きていられはしないよ、世の中が思つたり適つたりで暮らせる位なら、人間にア涙なんてえものァいらないものさ。それがある点《とこ》がうき世をいつたものじやないの。そりや銀さんは、あたしを不人情者とも、不貞腐《ふてくさ》れとも思つておいでだろう。もとよりあたしが非《わる》いんさ。非いにァちがいないけども、底には底のあるものだよ」
 と女はしみじみと語り出した。
 渠女《かれ》は、銀が三年|以来《このかた》の惨澹たる経歴と、大酒飲みになつた事と、真面目《まじめ》に働くがいやになつた事と、この世には望みもなければ、楽しみといふものの光明も認められぬやうになつた事など、落ちも無く銀に語つて聞かされたのである。で、聞く一言一言が、渠女《かれ》の身に取ると、胸に釘を打たるる思ひ。その場へ昏倒するのではないかと思はれた事も幾度かであつた。渠女《かれ》は始終、涙と太息《ためいき》とで聞いてしまつて、さて心の糸のもつれもつれて、なつかしさと切なさとに胸裡は張り裂けんばかり、銀が今の身の上|最愛《いとし》と思ひつめては、ほとんど前後不覚。よし自分の身辺にまつはる事情や行懸りをうつちやつても……。我が身を引ン裂いてなりと、まのあたり銀が餓えと恥辱に呵責《さいな》まるる苦痛をすくはうと煩悶した。あせつたのである。身|※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《あが》りしたのである。けれども、女の身の格別好いちえも分別も出なかつた。
 そこで女は、とやかう思案を煎じつめた挙句、「ままよ」とつぶやいたかと思ふと、さきにその所夫《おつと》から預けられて、問屋場へ持つて行くべき、少なからぬ、なにがしといふ金を懐中《ふところ》から取り出した。包
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