見えるゆゑ。お紛れになるやうに、して上げましてくれとのお詞。てうど幸ひの年の市、私どもは格別の買ものもござりませねど。あなたさまのお供がいたしたさの思ひ立ち。せめて半町でも、外へ出て御覧あそばしませ。きつとお気が替はりませう。その上でよくよくおいやな事ならば、どこからなりとも帰りませう。無理に浅草までとは申しませぬ。さあさあちやつとお拵らえ』と。この細君が勧め出しては、いつでもいやといはさぬ上手。引張るやうに連れ出して『いつお気が変はりませうも知れませぬゆゑ。ちと廻りでも、小川町の方へ出まして、賑やかな方から参りませう』と。先に立つての案内顔。三は後からいそいそと。お蔭で私もよい藪入[#「藪入」は底本では「籔入」]が出来まする。実はこの間から、お正月に致しまする帯の片側を、買ひたい買ひたいと思ふてゐましたを、寝言にまで申して。奥様のお笑ひ受けた程の品。成らふ事なら失礼して、今晩買はせて戴きましたい。お二方様のお見立を、願ひました事ならば、それで私も大安心。在処の母が参つても、これが東京での流行の品と、たんと自慢が出来ますると。いふに、おほほほほと太田の妻が『まあ仰山な、お園様、あれをお聞きあそばしましたか。あの口振りでは、大方片側で、二三十円は、はづむつもりと見えました。それではとても外店の品では三が気に入りますまい。なふ三、それでは越後屋へでも行かうかや』と。何がなお園を笑はせたき、詞と機転の三が受け『はいはい越後屋でも、越前屋でも、そこらに構ひはござりませぬ。私が持つてをりまするは、大枚壱円と八拾銭。後はすつかり奥様が、お引受け下されませう。ねえ御新造様、あなた様も、お口添下されませ』『まあ呆れた、年の行かないその割には、鉄面《あつかま》しい女だよ』と。二人が笑ふに、お園まで、しばしは鬱さを忘れて行くに。いつしか、九段の下へ出たり。あれ御新造様、あの提燈が、美しいではござりませぬかと。三が詞に、義理一遍。なるほどさうでござんすと、お園も重たい頭を挙げて、勧工場の方を見遣りし顔を。横より、しつかと、照らし見て。まあ待ちねえと。大股に、お園が前へ立ちはたかる、男のあるに、ぎよつとして。三人一所に立止まり、見れば、何ぞや、この寒空に、素袷のごろつき風。一|歩《あし》なりとも動いて見よと、いはぬばかりの面構え。かかり合ひてはなるまいと。年嵩だけに、太田の妻が、早速の目配《めま》ぜ、お園の手を取り、行かむとするを、どつこい、ならぬと、遮りて『お前はどこの、細君様《かみさん》か知らねえが、この女には用がある。行くなら一人で歩みねえ。この女だけ引止めた』と、お園の肩を鷲握み。はや人立のしかかるに。お園も今は二人の手前、耻を見せてはなるまいと。腹を据えての空笑ひ『ホホホホホ、どなたかと思ひましたら助三さんでござんしたか。全くお服装《なり》が替はつてゐるので、つい御見違ひ申してのこの失礼、お気に障えて下さりますな。御用があらば、どこでなり、承る事に致しませう。連れのお方に断る間、ちよつと待つて下されませ』と。物和らかなる挨拶に、男はおもわく違ひし様子。少しは肩肱寛めても、心は許さぬ目配りを、知つても知らぬ落着き顔。ちよつと太田の奥様えと、小暗き方に伴ふに。三は虎口を遁れし心地。あたふたと、追縋り『交番へ行ツて参りませうか』と、顫えながらの、強がりを。お園は、ほほと手を振りて『なんのそれに及びましよ。あれは私が、遁れぬ縁家の息子株。相応な身分の人でござんしたのなれど。放蕩《のら》が過ぎての勘当受け』と、いふ声、耳に狭んでや『なにの放蕩だと』といひかかるを『お前の事ではござんせぬ。こちらの話でござんす』と。なほも小声の談話を続け『何に致せ、ああいふ風俗に、落ちてをる人ゆゑ。当然《あたりまえ》の挨拶が、ちよつとしても喧嘩腰。さぞお驚きなされたでござんしよが。私は知つた人ゆゑに、お気遣ひ下されますな。おほかたいづれお金銭の無心か。さなくば親へ勘当の、詑びでも頼むまでの事。大丈夫でござんすほどに、私にお構ひなさらずとも、お女中と御一所に、お先へお出で下さりませ』と。いへどもどふやら不安心と、肯《うべな》ひかぬるを、また押して『なんのそのお案じに及びましよ。気遣ひな位なら、私からでも願ひますれど。あの人の気は、よう分つてをりまする。途中で逢ふたが何より幸ひ、家で逢ふと申したら、たびたび来るかも知れませぬ。それよりは、どこぞそこらで、捌くのが、何よりの上分別。一度限りで済みまする。きつとお案じ下さりますな。早う済んだらお後から、もしも少し手間取りましたら、お先へ帰つてをりますほどに、御ゆるりお越なされて』と。心易げないひ立に。太田の妻も安心して。もともと進まぬお外出ゆゑ、これを機会《しほ》のお帰りか。それとも外に子細があらば、なほさら、無理にといふでもな
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