ヘなしだが、自分が真犯人のような錯覚をおこして、きょうはのがれたがあしたは捕まるといったふうに、一種の強迫観念にせめられるじゃないか。この気持はおれとおなじい状態におかれたものでないとわからぬかもしれぬ。なあに、でるとこへでて逐一事実を陳述すればそうむちゃな結果になるとは思えぬ、とみずからなぐさめるのだが、どっこい、この世のなかにはいろいろな逆がおこなわれている、悪党が善人づらで通用するし、けちな野郎が大きなつらのできる世のなかだ、無辜《むこ》の自分が真犯人にされちまうというくらいの逆は、かくべつめずらしいことではないかもしれぬ、とこう思うと、そこがそれ病気だね、無心で交番のまえがとおれない。そうこうして、病的にいらいらしているうち五日ばかりたって、とうとうおれのおそれている日がきた。

 その日はおれがめずらしくはやおきをして、といってもかれこれひるちかかったが、朝昼けんたいのめしをくっている時だった、みしりみしりと階段の音がして留守番のばあやが、
「ムッシュウ・じゅあん、お客さんですよ」
 といい、よちよち一枚の名刺を眼のまえにさしだした。みるとQ署の刑事だ。きたなっ、と思ったとた
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