を止めて了《しま》ったのでありまして、そうなると否でも応でも自分から働かねばならず、幸か不幸か中学時代から淫靡《いんび》な文学に耽溺《たんでき》して居た御蔭で芸が身を助くるとでも謂《い》うのでありましょうか※[#始め二重括弧、1−2−54]玉ノ井繁昌記※[#終わり二重括弧、1−2−55]とか※[#始め二重括弧、1−2−54]レヴュウ・ガァルの悲哀※[#終わり二重括弧、1−2−55]とか云う低級なエロ読物を書く事に依って辛《かろう》じて今日迄|口《くち》を糊《のり》して参ったのであります。或る秘密出版社に頼まれて、所謂好色本の原稿を書き綴って読者に言外の満足を与えた事も再三でありました。……
偖《さて》、斯《こ》うして家庭が貧困の裡《うち》に喘《あえ》いで居乍らも、金さえ這入れば私は酒と女に耽溺する事を忘れませんでした。病的婬乱症《ニムフォマニイ》――此の名称が男子にも当て嵌るものであるならば、其の当時の私の如き正に其の重篤患者に相違ありませんでした。最早《もは》や二歳の児がある程の永い結婚生活は、水々しかった妻の白い肉体から総《すべ》ての秘密を曝露し尽して了いまして、妻以外の女の幻影が私の淫らな神経を四六時中刺戟して居りまして、その為大事な理性《フェルヌンフト》を失って居た位であります。其の日、二月某日の夜は寒い刺す様な風が吹いて居りました。金を懐に七時頃家を飛び出し、其の頃毎夜の如く放浪する浅草《あさくさ》の活動街に姿を現わしました。都《みやこ》バアで三本許りの酒を飲んでから、レヴュウ見物に玉木座《たまきざ》の木戸を潜りました。婦人同伴席にそっと混れ込んで、――是は私の習癖で御座いまして、一時間余り痴呆の様になって女の匂いを嗅ぎ乍ら、猥雑《わいざつ》なレヴュウを観て居る裡に、忽ちそんな場所に居る事が莫迦莫迦《ばかばか》しくなり一刻も早く直接女との交渉を持った方が切実だと謂う気になりまして直ぐ態《さま》其処を飛び出して了いましたものの、何分時間が早いので一応|雷門《かみなりもん》の牛屋に上りまして鍋をつっ突き酒を加え乍ら、何方《どっち》方面の女にしようかと目論見を立てる事に致しました。飲む程に酔う程に、――※[#始め二重括弧、1−2−54]と申しましても私は如何程酒精分を摂っても足許を掬《すく》われる程所謂泥酔の境地は嘗《かつ》て経験した事無く、只幾分か頭脳が茫乎《ぼんやり》して来まして所謂軽度の意識|溷沌《こんとん》に陥り追想力が失われる様で有ります。従って酔中の行動に就いては覚醒後全然記憶の無い場合が往々有ったのであります※[#終わり二重括弧、1−2−55]――益々好色的な気分に成って未だ当《あて》の定らない裡に最早や其の牛屋に坐って居る事に怺《こら》えられなく成り、歩き乍ら定めようと元の活動街の方へ引返して参りました。池之端《いけのはた》の交番を覗くと時間は意外に早く経過したものと見え時計は十一時半頃を示して居りました。閉館後の建物は消灯して仄暗い屋根を連ね人脚もばったり途絶えて、偶《たま》に摺れ違う者が有れば二重廻《にじゅうまわ》しに凍え乍ら寒ざむと震えて通る人相の悪い痩せた人達許りで、空には寒月が皎々と照り渡って居りました。酔中の漫歩は自ら女郎屋に這入る千束町《せんぞくちょう》の通りを辿りまして、軈《やが》て薄暗い四辻に出た時です。――旦那、……もしもし、……旦那。……と杜切《とぎ》れ杜切れに呼ぶ皺枯れた臆病想な声が私の耳の後で聞えました。私は立ち止って振り返る必要は無かった、と云うのは電柱の蔭に夫迄《それまで》身を潜めて居たらしい一人の五十格好の鳥打帽《とりうちぼう》にモジリを着た男が、素早やく私と肩を並べて恰《あたか》も私の連れの如く粧《よそお》い乍ら、ぶらりぶらりと歩調を合わせて歩き始めたからであります。私は其の男が春画売りか源氏屋に相違無い事を、屡々の経験から直《ただ》ちに覚《さと》る事が出来ました。案の定男は、相手の顔から些《いささか》の好色的な影も逃すまじとの鋭い其の癖如才無い眼付きで、先生、十七八の素人は如何です?――と切り出して参りました。矢張り源氏屋だったのであります。私とて是迄彼等の遣口《やりくち》には疑い乍らも十度に一度は※[#始め二重括弧、1−2−54]真物※[#終わり二重括弧、1−2−55]に出喰わさない事も無かろうと微《わず》かな希望を抱き、従って随分屡々其の方面の経験は有りましたが、其の範囲内では毎時《いつも》ペテンを喰わされて居ました。三十過ぎにも見える醜い女が、小皺だらけの皮膚に白粉を壁の様に塗りたくり、ばらばらの毛髪をおさげに結って飛んでもない十七八の素人[#「十七八の素人」に傍点]に成り済まし、比類稀なる素晴らしきグロテスクに流石《さすが》の私も匆々《そうそう》に煙を焚いた程の
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