ィック》な興奮さえ予想させたので有ります。妻と其の誰とも判らぬ男は、人無き境内の御堂の傍のベンチに腰を下して、其の背後の樹立に私の潜んで居る事も知らずに、堅く手を組み合わせ肩と肩を凭《もた》れ合わせた儘、暫しは動きませんでした。高台であるが為に二人の縺《もつ》れ姿が、ぽっかりと夜空に泛び上り、其の空の下には十一時過ぎの街衢《まち》が眠た気なイリュミネエションに瞬いて居ります。余程の馴染なので有りましょうか。二人はかなり永い間沈黙を続けて居りましたが、閣下よ、最初に彼等の口から洩れた音と云うのが、何と、哀調綿々たる歔欷《すすりなき》では有りませんか?
 凝然《じっと》黙って居た二人は、同じ様に肩を顫わせてしくしくと哭《な》き始めたのであります……。
 浮気な悪戯《いたずら》と思って居た私にとって、此の事は甚だ意外でありました。はっと息を呑んで其の儘注視して居りますと、先ず泣き歇《や》んだ男が、鼻を鳴らし乍ら、泣くのよそう、ね、泣くのよそうよ、と妻の背を擦《さす》りつつ優しく劬《いた》わり始めたのであります。泣いたって仕様が無い、ね、一緒に死んだ方がいいよ、と妻の顔を覗き込んで呟きますと、妻は此の哀愁《かなしみ》をどうなとしてくれと云った様な、いっそ自暴《やけ》半分の乱調子で、いやいや、私は死なないわ、死なない、死なない、だって……だって一緒に逃げれば、死ななくても済むんですもの、と逆襲して行きました。男が其の儘返事に詰って黙って居りますと、私だって役者位やれます、ね、そうして、一緒にどっかへ、遠い所へ逃げて了いましょうよ、と重ねて泪混りに男を口説いて居る様子なのであります。そして二人が黙ると、次第に胸が苦しく成って来るものか再びさめざめと声を揃えて歔欷を始めるのでありました。そう言う言葉の抑揚が、泪を混えた其の雰囲気が、何か夢の中の悲哀の場面の如く感ぜられて、其の二人が悲しみの裡にも其の境遇を享楽して居ると云ったような、或る種の芝居がかった余裕が判乎《はっきり》と分るので、却って逆に私の方ははっと現実的に返ったのであります。畜生、巫山戯《ふざけ》てやアがると、思わず心の裡で呟きました。そうして泪を流す事が彼等の睦事なのではないのでしょうか? 続けて語られた密語は最早や記憶には有りません。思わず赫《か》ッとなってスティックを握った儘、二人の前へ飛び出たのであります。……
 閣下は、私が其の女を最早や決定的に「妻」と認定して居る事を、若しや早計と批難なさるかも知れません。醜悪な妻が有りもしない衣裳を何処からか引き出して来、斑《まだ》らな髪を真点《まんまる》な丸髷に結い亭主の留守を見済ませて、密夫と逢曳を遂げるなどと云う事は、或いは不可能な又は奇蹟かも知れません。が、私は付け難い判別にさ迷うよりは、其の焦燥を捨てていっそ妻と決定して了った方が楽だったのであります。不時の闖入者《ちんにゅうしゃ》を見て二人は、はっと身を退けましたが、私はむらむらと湧き起る憎念の抑え難く、房枝っ、と叫び態、握って居たスティックを右手に振り上げ呆気にとられて茫然たる妻の真向眼がけて、力委せに打《ぶ》っ叩いたのであります。男は、何事か、私の無法を口の中で詰り乍ら、無手で私の体に打つかって来ましたが、私の右手は殆んど機械の如き正確さで第二の打撃を相手に加える事に成功しました。呀《あ》ッと面を押えて退《の》け反《ぞ》った時に、今度は妻の方が再びもぞもぞと起き上る気配なので、我を忘れて駈け寄るが早いか、体と云わず顔と云わず滅多矢鱈《めったやたら》に殴りつけました。寔にそれは忘我の陶酔境でありまして、右手が疲れると左手に持ち直し、息の根絶えよと許りスティックの粉々に折れ尽きる迄殴り続けたので有ります。最初の裡くねくねと体を蠢《うご》めかして居た妻も、軈ては気力尽きてぐったり動かなくなったのを見済まして、私は悠然と落ちた帽子を拾い着崩れた着物の襟を合わせ、是でいいんだ、ふん、是でいいんだ、と呟き乍ら、一歩一歩念を押す気持で石段を下り、来懸る円タクを留めようと至極呑気な気持で待って居りました。

 訝《おか》しな陽気だと思って居りましたよ、旦那、やっぱり風が出て来ましたね、と云うハンドルを握った運転手の声に、それ迄ウツラウツラ居眠って居た私ははっと気付いて窓の外を眺めますと、何処を通っているのか郊外の新開地らしく看板の並んだ商店街の旗や幟がパタパタ風に翻って居りました。車が動き出すと同時に私は苦痛に近い疲労を覚え、割れる様な頭痛と絞られる様な吐気に攻め立てられ、到底眼を開けて居る事に堪えられず其の儘崩折れる様に席の上に居眠って居たのであります。そしてそう云う肉体的変調が、閣下よ、持前の肉体痙攣――あの発作の前兆だったのであります。むん、そうの様だね、と曖昧に答え又ウトウト
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