いました。親猿が、その有様を見ておりまして、さも悲しげな声で、なきさけび、半四郎師匠を、きっと、にらみつけた、あの凄い目に、傍にいた私どもは、思わず、震い上ったほどでございました。その芝居小屋は、その後、はやらなくなりまして、なくなりました。あの猿がうらんでいるのかも知れませぬが、座主も、座主でございます。ああした小屋も、もとより水商売、そうしますれば、お茶屋や、料理やで、お猿は、去る[#「去る」に傍点]に通じると云いまして、げんを祝い、お稽古ごとにも「外記猿《げきざる》」とか「うつぼ猿」さては、俗に「猿舞」と申します「三升猿曲舞《しかくばしらさるのくせまい》」というように、猿のついたものは、習わないほどでございますのに、あの小屋の座主はまた、何と考えて、ああしたお猿を、小屋の庭先きに飼っていらっしたのか、と今でも不審に思うのでございます」
 と、こんなことを申されたことがございました。私は、このようなとき、
「そうしたお方の三味線をお弾きになるのはいやなことでございましょう。しかし、それにいたしましても、心の中で、お師匠さんが、そんなに思っていらっしゃいますのに、どうして、踊と三味線があのように、よく合うので御座いましょう。どちらかで、気が合わない、と思っていれば、自然と、ああした場合にも、それが現われ、うまく、調子が合わないのでございますまいか」
 と、私が、こんなに、申しますと、師匠は頭をお振りになりまして、
「いや、そんなことはございません。私は人間としてのあの人には、嫌悪を感じるのみでございますが、踊り手としての半四郎には、心の奥から頭を下げております。私の弾く三味線は、あの人の人柄とは、何の関係もございません。岩井半四郎という、日本一の踊り手のために、心から弾くのでございますから、呼吸《いき》が合うのでございます。あの人に、あの芸がございませんでしたら、私はああした人は、人類の名誉のためにでも、あの親猿の前で、殺しているでございましょう」
 師匠は、こんなことを申されまして、お笑いになったことでございました。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 大切、娘道成寺の幕は、時間通りに開いたのでございます。舞台は申すまでもなく、所作事にはお定まりのこしらえ――檜の舞台に、書割は、見渡すかぎりの花の山、うっとりと花に曇った中空に、ゆったりと浮び上
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